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2010年08月26日

ライアン・ホワイト(Ryan White)とは


モータウン・ハンドブック


ライアン・ホワイト(Ryan White)とは

1971年12月6日−1990年4月8日


ライアン・ホワイトは、血友病患者として13歳の時、輸血治療の際、汚染血液製剤からエイズに感染しました。エイズキャリアとして差別され迫害を受け、インディアナ州ココモの学校を追放されました。

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(ライアン・ホワイト、マイケルのプレゼントしたムスタングと)

その後、広報活動に力を入れる一方、同じインディアナ州のシセロへと移転しました。シセロの学校では、教師、生徒たちへのエイズに対する教育がされていたので、ココモの学校とは違い、良い環境下で学業に専念できたようです。


7歳の時に両親が離婚、再婚し新しく父となったスティーブ・フォードと母ジニー、妹アンドレアと4人家族でした。家族は非常に仲良しで、共にライアンの病気に立ち向かってきました。(その後母ジニーは、スティーブとは1982年に離婚し、3人家族になりましたが交流は続いていました)


ライアンはまた、素敵な友人たち、ガールフレンドに恵まれて過ごしています。彼の周りに集まった著名人たちも多彩で、初期の頃から関わっていたアリッサ・ミラノ、エルトン・ジョン…


その他に、トム・クルーズ、ブルース・ウィルス、デミ・ムーア、レーガン元大統領夫妻、バーバラ・ブッシュ、リンダ・オットー(映画プロデューサー)、ハウィー・ロング、カリーム・アブドゥルジェイバー(2人ともバスケットボール選手)、ルーカス・ハース(映画でライアン役を演じた俳優)、ジュディス・ライト(母ジニー役)、ニッキー・コックス(アンドレア役)、テッド・コッペル(ナイト・ライン司会者)マイケル・ジャクソン、そして彼を励まし診てきたマーティン・クレイマン医師たちです。


ライアンの広報活動は、病気と闘いながら数々の功績を残しています。
一番最初に出演したのは、ローマの「イタリア・セラ」というテレビ番組でこの時14歳でした。彼は、このテレビ番組出演の時の様子を「大喝采」であったと自伝に書き記しています。


その後、「フィル・ドナヒューのテレビショー」、ワシントンDCで「大統領委員会」、「グッド・モーニング・アメリカ」、「子どものための運動選手と芸能人」セレモニーなどに出演しています。


ライアンは13歳のときに「余命6カ月」と診断されましたが、1990年4月に18歳で亡くなるまで5年間生き延びました。


彼を支え彼を愛していた人々、それをちゃんと理解していたライアン、その彼の自伝はこちら↓ライアン・ホワイト自伝

「エイズと闘った少年の記録」(原題=MY OWN STORY)
著者 ライアン・ホワイト アン・マリー・カニンガム 訳 加藤耕一

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