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2010年07月09日

マイケル・ジャクソン,モータウン25周年もう一つの物語その12

書籍 モータウン・ミュージック「それぞれの道」より
著者 ネルソン・ジョージ

ヤング・マイケル・ジャクソン写真集 1974-1984 【初回限定版】


その12


だがモータウン・スペシャルの中でも、会社と、その歴史で表に出ないことについて多くを語っているという点でおそらくいちばん興味深かったのは、「モータウン・サウンドとはなんだったのか?」という屈託のない疑問に焦点を当てた個所だ。

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2010年07月07日

マイケル・ジャクソン,モータウン25周年もう一つの物語その11

書籍 モータウン・ミュージック「それぞれの道」より
著者 ネルソン・ジョージ

new dvd

ウーマン・イン・レッド(紙ジャケット仕様)



その11

ベリー・ゴーディ・ジュニア氏その人がモータウン・スペシャルのステージに上がって行こうとする時、視聴者は過去の、そして現在のモータウン関係者たちが彼を迎えるためにステージ上に集まる様をじっくりと眺めることができた。


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(中略)

マーサ・リーヴス、メリー・ウェルズ、そしてジュニア・ウォーカーにこんないい話はなかった。


モータウン・スペシャルでの彼らは、メドレーのコーナーでそれぞれの最大のヒット曲〈ヒート・ウェイヴ>〈マイ・ガイ〉〈ショットガン〉のさわりだけを歌わされ、まるで歴史中のつけ足しのように扱われた。


スペシャルの中、ヴォーカル・グループ競演のコーナーで、フォー・トップスはテンプテーションズとともにステージに立った。しかし、テンプテーションズのメンバーはすっかり顔ぶれが変わってしまっていた。




テレビを観ていた何人かはこう思った-------「グラディス・ナイト・アンド・ザ・ピップスはどこに出てたっけ?」


後になってハリー・ワインジャーにー(記者)その質問をされた時、ナイトは最初「仕事があったのよ」と答えた。しかし長い間をおいて、彼女はこう語り始めた。


---------私たちはずっと感じてたんだけど、モータウンがフェアじゃない点のひとつは、アーティストこそが会社を支えてる柱なのに、そのアーティストがひどい扱いを受けてることなのよ。


彼らが口にしていいのは、「私たちはモータウンのみんなのために頑張ります、それだけです。もちろん、ナンバー・ワンのミスター・ベリー・ゴーディを含めてです」っていうことだけ。


あなたがたも聞かなかったでしょう?ひょっとしたら私が聞き洩らしたのかもしれないけど、あの番組でも、「われわれは今夜ここに集まったアーティストみんなに感謝したい。


実際の話し、彼らがいなければモータウンは存在し得なかったろう。同じ意味で、今日のミスター・ゴーディもあり得なかった」


なんてことは全然語られなかったわ。そんなだからね、あの番組に出るってことは偽善的なことじゃないかって、私たちは思ったわけ-----------

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(Gladys Knight)

まだモータウンに在籍中のスティーヴィー・ワンダーもスペシャルに登場したが、彼のステージはマイケル・ジャクソン、マーヴィン・ゲイらのそれに比べると、精彩を欠いていた。


モータウンに変化の嵐が吹き荒れた間もそこにとどまり、しかも音楽的にも商業的にも高い水準を保ちつづけたスターは彼一人だった。


モータウンにとっては自慢の種だった。しかしモータウンはスティーヴィーを手に入れるために、彼の欲しがっていた自由を与えた。


ベリーと会社は、生産ライン全盛の頃ならぜったいに許さなかったような、彼の創造的なわがままを黙認しなければならなかった。


絶大な自主性を確保したスティーヴィー相手では、次のアルバムがいつできるか、予想することも催促することもできなかった。


何カ月どころではなく、文字通り何年も待たねばならないこともあった。スペシャルの時にはスティーヴィーはもう2年間もアルバムを出していなかった。


1984年になってやっと新作がリリースされるが、それは映画のサウンドトラック盤《ウーマン・イン・レッド》で、彼がずっと制作にかかりっきりで期待の高まっていたスタジオ・アルバム《イン・スクエア・サークル》ではなかった。


かつてはモータウンの子供ともいえたスティーヴィー・ワンダーは、自分の進路を自由に操り始めただけでなく、彼の芸術的判断(つまりアルバムができあがるかどうかということだ)がモータウンの財政状態を大きく左右するようになっていた。


リトル・スティーヴィーは大人になっただけでなく、その音楽的な影響力のためにいまやモータウンを支える大黒柱となったのだった。


だがモータウン・スペシャルの中でも、会社と、その歴史で表に出ないことについて多くを語っているという点でおそらくいちばん興味深かったのは、「モータウン・サウンドとはなんだったのか?」という屈託のない疑問に焦点を当てた個所だ。


ウーマン・イン・レッド(紙ジャケット仕様)


モータウン25周年もう一つの物語その12へ続く













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2010年07月06日

マイケル・ジャクソン,モータウン25周年もう一つの物語その10

書籍 モータウン・ミュージック「それぞれの道」より
著者 ネルソン・ジョージ


その10


もちろん番組の大詰めでは、ダイアナはモータウンが生んだ最大のスターとして、まるで“女王様のご入場”といった感じで登場した。


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(ロバート・シルバースタインと娘)


しかし、それまでの10年間にはあまりにも多くの変化が起きていた。周りの驚きをよそに、彼女はベリー・ゴーディではなく白人のロバート・シルバースタインと結婚した。


だが6年間続いたシルバースタインとの結婚生活の間じゅう、海辺であれ、テニスコートであれ、仕事の打ちあわせであれ、二人のそばには必ずベリーの姿があった。


一時は、彼らはロスアンジェルスで一番奇妙な3人組だった。結婚が失敗に終わった時、シルバースタインは《ピープル》誌に、自分の妻は「生まれてこのかた一冊の本も読んだことのない男に、完全に支配されていた」と怒りをぶちまけた。

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(ダイアナ・ロスと娘たち)

『ウィズ』の後、ロスは自分自身を見つめ直すためにニューヨークへと向かった。そしてそこで、結局はモータウンに見切りをつけ、アメリカ国内ではRCAと、世界的にはEMIと、何百万ドルという契約を交わす。


元モータウンのスターが過去を捨て去って前進---------そうなるはずであった。


ところがイースト・コーストでの新しい生活も、新しいレーベルとの契約も、モータウンとベリーが彼女を作りあげたという事実を消すことはできなかった。


モータウン・スペシャルの、シュープリームス再開の場面で、ロスは目を血走らせ、音程ははずれ、まるで年月の重みが彼女の喉をしめつけているかのようだった。


誰も予想しなかったことだが、自信(それとも軽蔑)をあらわにしたメアリーが、〈サムディ・ウィール・ビー・トゥゲザー〉のリード・ヴォーカルを横取りしてしまった。

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(シュープリームスのメンバー=ダイアナ・ロス、メアリー・ウィルソン、フローレンス・バラードの3人)


調子にのったメアリーは、ボックス・シートに座っているベリーに向かってステージに上がってくるよう促した。

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するとダイアナはメアリーを数フィートも脇に押しのけて観客を驚かせ(放送の際にはその場面はカットされた)、それから自分がベリーに手招きしたのだった。

(※実際にはダイアナが、近づいてきたメアリー・ウィルソンにひじ鉄を食らわせ、マイクを落とさせた)


それは、ダイアナのイメージをコントロールしようと必死になってきた人間にとっては驚きに満ちた、思いがけない一瞬だった。


そしてその場に居合わせた人々は、その時のことを決して忘れないだろう。また、いくら鈍感な人間でも、そこにいなかったシュープリームスの一人に思いをはせなかった者はいないだろう。


番組の中ではフローレンス・バラードの名前は一度たちともささやかれることさえなかった。その8年前、彼女はこの世を去っていた。


当時彼女は一人ぼっちで生活保護を受けながら、子ども時代を過ごしたと同じようなデトロイトの公団住宅に住んでいた。


彼女がやっとの思いで手にしたモータウンからの和解金も長持ちはしなかった。トマス・チャップマンとの結婚生活もとうに破局を迎えていた。


ある日、買い物から帰った彼女はばったり倒れ、そして2度と起き上がらなかった。検死官は心不全と断定した。


1981年12月、「ドリーム・ガールズ」というミュージカルがブロードウェイの話題を独占した。それはフローレンス・バラードにあたる人物を悲劇的存在としてとらえ、ベリーのことはずる賢く口のうまい商売人として、ダイアナは映画スターになりたいと思った時だけ気骨を示したただのあやつり人形として描いていた。


メアリー・ウィルソンは、これが本当のシュープリームス・ストーリーだと言った。ダイアナは「ドリーム・ガールズ」を観に行こうとしなかった。


物語はシュープリームスの歩んだ道に忠実というわけではなかったが、大衆の想像力を強く刺激し、フロー(フローレンス・バラード)の生涯、そして一人の男がおよぼし得る支配力についての辛辣な批評となっていた。


ベリー・ゴーディ・ジュニア氏その人がモータウン・スペシャルのステージに上がって行こうとする時、視聴者は過去の、そして現在のモータウン関係者たちが彼を迎えるためにステージ上に集まる様をじっくりと眺めることができた。


マイケル・ジャクソン,モータウン25周年もう一つの物語その11へ続く




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2010年07月05日

マイケルジャクソンモータウン25周年もう一つの物語その9

書籍 モータウン・ミュージック「それぞれの道」より
著者 ネルソン・ジョージ



離婚伝説<エクスパンデッド・エディション>(紙ジャケット仕様)

その9


ジャクソン・ファイヴのエピック移籍は、息子たちにたいしてモータウンが出さないような金、モータウンが許さないような音楽的自由、そしてモータウンにはもう保証することのできない、白人にまでクロスオーバーしたレコード売り上げを期待したパパ・ジョー・ジャクソンの手により計画が進められた。


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(ファッションが似通ってると比較されて〜)



息子の一人ジャーメインは個性的タレントとして完全に開花することができず、ツアーに明け暮れるうちにレコード購買層とのつながりを失ってしまう。



一方、彼の兄弟たち、なかでも末っ子のマイケルはメジャーなスターに成長していった。



モータウン・スペシャルの頃、ちょうどアルバム《スリラー》が空前の売り上げを記録していたマイケルは、新しいシングル〈ビリー・ジーン〉を歌わせるよう要求し、さもなれば番組には出演しないと言い張った。



今では伝説にさえなったその時のステージ-------
アメリカのポピュラー文化の仲の緊張の一瞬という点では、1964年のビートルズの《エド・サリヴァン・ショー》出演にも匹敵するものだった--------は、番組のハイライトだっただけでなく、その夜披露された唯一の非モータウン・ミュージックだったという点も見逃せない。



マイケルはショービジネスの華やかなきらめきを見せてくれたが、マーヴィン・ゲイのソロ・ステージでは、繊細で自意識過剰の彼の一面を反映したものだった。



ジャズ、ゴスペル、ブルースなどの断片をピアノで弾きながら、マーヴィンは静かに官能的な声で語りかけ、アルバム《ホワッツ・ゴーイング・オン》以後のさまざまなスタイルを融合した彼の音楽と並行するように変化を遂げたブラック・ミュージックの意識の流れをたどってみせた。



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(おっちゃんになったアダム・アント)


70年代のマーヴィンは、〈レッツ・ゲット・イット・オン〉〈トラブル・マン〉〈ガット・トゥ・ギブ・イット・アップ・パート1〉といった曲を通して俗性と超俗性、コマーシャリズムと冒険のバランスをとり、特異な美しさを持つ1つのサウンドにまとめあげる能力を身に付けた。



短い出番の中で、彼の芸術性のこうした特質すべてが、きらめくようにくっきりと表現されていた。



モータウン・スペシャルが収録された時、苦しい時期を脱しつつあったマーヴィンは気分的には上々だったに違いない。



アンナ・ゴーディとの苦しい離婚--------その結果生まれたのが怒りに満ちた1978年のアルバム〈ヒア、マイ・ディア〉で、自分の結婚をふりかえったこのレコードは、その売り上げが慰謝料の支払いに充てられた--------の後、彼は精神的にも経済的にもどん底に突き落とされてしまった。



手当たり次第にドラッグをやり、17歳年下の女性との再婚も短命に終わり(彼はアンナの17歳年下だった)、最後には破産状態におちいった。



レコーディングも中途半端のまま、彼は何度が自殺を図り、逃げ出すようにヨーロッパへ渡り、イギリスからベルギーまで転々とした。



マーヴィンはヨーロッパで、古くからの相談相手ハーヴェイ・フークワの助けを得て一曲だけ、素晴らしい歌をレコーディングした。〈セクシャル・ヒーリング〉だ。



レコードはマーヴィンとの契約を200万ドルでモータウンから買い取ったコロンビアからリリースされた。



内国歳入庁は、ゲイが滞納していた200万ドルの税金を「適正な」分割によって支払うことを認めた。


これによりマーヴィンはアメリカへ戻ることになるが、せっかく得られた金も〈セクシャル・ヒーリング〉にたいする高い評価も、マーヴィンの個人的な悩みを取り除くことはできなかった。



1983年、モータウン・スペシャルのすぐ後、〈セクシャル・ヒーリング〉のプロモーション・ツアーに出た彼は、舞台恐怖症、のどの痛み、そして説明のつかない死の恐怖の妄想に悩まされた。



ドラッグと、それにつきもののいかがわしい世界が彼を引き倒そうとしていたが、誰も、もちろんモータウンの古い仲間たちも彼を助けることはできなかった。



モータウン・スペシャルで、彼は〈ホワッツ・ゴーイング・オン〉を歌い、天使のような声で「ファーザー、ファーザー、熱くなることはないよ」というくだりをしみじみと繰り返した。



1984年4月1日、ますます深まる抑鬱状態のなかで、彼はロスアンジェルスの自宅で父親と取っ組み合いの喧嘩をし、父を何度も殴りつけた。



牧師である父親はそのうち無口になりふさぎこんだかと思うと、マーヴィンを射殺した。ゲイ師は、凶行におよんだ際には精神錯乱におちいっていたとされ、釈放された。この判断はそのまま彼の息子についてもあてはまるというのが大方の見解であった。



モータウン・スペシャルにおけるマイケル・ジャクソンがダイナミックで、マーヴィン・ゲイが気高かったとすれば、ダイアナ・ロスは彼女らしさの点でも、彼女らしからぬ点でもずば抜けて目立っていた。



舞台裏では威厳たっぷりに、古いモータウンの人間たちとは距離をおいていたが、アダム・アントが〈ホエア・ディド・アワ・ラヴ・ゴー?〉を思い入れたっぷりに歌うと、彼女はショービジネスの常識を無視するかのようにいきなりステージに上がって行った。



もちろん番組の大詰めでは、ダイアナはモータウンが生んだ最大のスターとして、まるで“女王様のご入場”といった感じで登場した。



マイケル・ジャクソンモータウン25周年もう一つの物語その10へ続く













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2010年07月02日

マイケルジャクソンモータウン25周年もう一つの物語その8

書籍 モータウン・ミュージック「それぞれの道」より
著者 ネルソン・ジョージ



その8

だが、モータウンが音楽の分野でおよぼした影響力、そして『ビリー・ホリデイ物語』での幸先のよいスタートを考えると、モータウンがハリウッドでみごとな成長をとげたとは、とても言えなかった。
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マイケルジャクソンモータウン25周年もう一つの物語その7

書籍 モータウン・ミュージック「それぞれの道」より
著者 ネルソン・ジョージ

Mind Is the Magic: Anthem for the Las Vegas Show


その7


その間彼らは、好成績をおさめたブロードウェイ・ミュージカルの制作に参加し、映画それにテレビの特別番組を数本制作し、音楽的に評価され売り上げも上々のレコードも何枚かリリースしていた。悪い状況ではなかった。
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2010年06月30日

マイケルジャクソンモータウン25周年もう一つの物語その6

書籍 モータウン・ミュージック「それぞれの道」より
著者 ネルソン・ジョージ


The Official Michael Jackson Opus

その6

1980年代のミシガン州デトロイト。


かつて大型車と広がる夢でにぎわったこの街から、繁栄も楽天主義もそして仕事も、姿を消したか他所へいってしまっていた。失業と犯罪が、まるで疫病のようにこの街にはびこっている。

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2010年06月29日

マイケル・ジャクソン,モータウン25周年もう一つの物語その5

書籍 モータウン・ミュージック「夢を追って」より
著者 ネルソン・ジョージ


Mind Is the Magic: Anthem for the Las Vegas Show


マイケル・ジャクソン,モータウン25周年もう一つの物語
その5

フォー・トップスはABCと契約し、他のトップクラスのアーティストたちもやがてこの流れに従うことになる。

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2010年06月28日

マイケルジャクソンモータウン25周年もう一つの物語その4

書籍 モータウン・ミュージック「夢を追って」より
著者 ネルソン・ジョージ


ヤング・マイケル・ジャクソン写真集 1974-1984 【初回限定版】


マイケル・ジャクソン,モータウン25周年もう一つの物語
その4


デトロイトのモータウンにいるアーティストや社員の多くにとってベリーは、黒人が権力ある地位につくことなど稀な世界で成功を収めた、いわば黒人の力の象徴だった。

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2010年06月26日

マイケルジャクソンモータウン25周年もう一つの物語その3




マイケル・ジャクソン,モータウン25周年もう一つの物語 その3


書籍 モータウン・ミュージック「夢を追って」より
著者 ネルソン・ジョージ

その3

ジャクソンズをうまく波に乗せるためには最高の曲が必要だということはベリーにもわかっていた。しかし彼にはもうこれといった手がなかった。

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