fx 比較
レーシック

2013年01月12日

ママ立ち上がる「マザー」第18章苦闘の末の“勝利”4 私もプロモーター



Slave to the Rhythm.jpg


マイケル・ジャクソン母著「マザー」
(1990年5月14日)
原題「My Family, the Jacksons」
著者 キャサリン・ジャクソン 訳 竹内矢寿美



(前頁より)
実にドラマティックな動きです。キングはジョーのアプローチに飛び付いてきました。「マイケルのアルバムがこれほど成功しているんだから、このツアーは何千万ドルもの収入をあげるに違いない」と読んだのです。これこそジョーが聞きたかった言葉でした。



「マザー」第18章苦闘の末の“勝利“4
私もプロモーター



ジョーがキングの次に共同プロモーターとして選んだ人物もまた、同じように驚きでした。


私だったのです。


カリフォルニアに引っ越した時、ジョーと私は1つ約束をしました。と言うか、ジョーが私たちのために決めたものです。


「君が家の中の面倒をみる。ぼくが子どもたちのマネージメントをする。君をビジネスで煩わせたくないいからね」


ジョーの言うとおりです。ジョーが息子たちのマネージャーを務めている間中、私は、表に出ないことに完全に満足していました。


ところがジョーは今、私を必要としています。息子たちが公正な金銭的条件を確保するためには、私が彼のそばにいて手助けをすることが必要だとジョーは感じたのです。そのほうが、息子たちも安心してジョーにツアーを任せられると。


私は承知しました。そのツアーが一生に一度の経験になりそうだったからです。


息子たちは、1人を除いて全員がジョーと仕事をすることを受け入れました。例外はマイケルでした。当時、彼はツアーに乗り気ではありませんでした。


事実、1981年、あの子はもう2度とツアーをしないと宣言しています。
「舞台で歌うのは好きだけど、それ以外の、ツアーに伴ういろんなことが煩わしくていやなんだ」


あるいは、こうも言っています。
「成長するのはとっても大事なことだと思うけど、長い間ずっと続けてきたから、今じゃもう70歳になっちゃったような気がする。世界も2度回ったし、王様や大使の前でも歌ってきた。もう次の段階に進む時期だと思うんだ」


真剣にいえば言うほど、私が知っている“ステージ中毒”と自称していたマイケルとは違ってしまいます。


たとえば、1979年に、あの子はこうも発言しています。


「ステージに立っていないと何か大切なものが欠けているような気がする。長い間ステージに立たないと、自分が狂ってしまいそうになる。泣きだして、体が動いてしまう。おかしいんじゃないか、狂ったんじゃないかって言われてしまうかもしれないけどね…。


自分を解放できるのはステージに立ってる時さ。『これだ、これこそわが家だ。僕が本来いるべき場所はここなんだ』って自分に言うんだよ。自由で限りない、そんな気になるね。あの気持ちは今でも味わうことができる。思う存分食べ尽くしたから」


気が進まないという外見の下に、もう一度舞台に立ちたいと思っているマイケルが潜んでいると信じた私は、無理強いすることなく話しをすることにしました。


「とにかくツアーをすることを考えてみてちょうだい」


数日後、私はもう一度その話をしました。受け入れる気になっていると感じた私は、


「マイケル、是非やってほしいわ。兄弟たちはあなたを必要としているのよ」と言ったのです。


「わかったよ、母さん」とマイケルは答えました。「母さんがそうしてほしいと言うのなら、やろう」


1億500万枚売り上げのギネス記録スリラー

「マザー」第18章苦闘の末の“勝利“5 マイケルが頭に火傷! へ続く




2013年01月11日

ジョー挽回か?「マザー」第18章苦闘の末の“勝利3“ビッグ・ツアーを企画”

マイケル・ジャクソン母著「マザー」
(1990年5月14日)
原題「My Family, the Jacksons」
著者 キャサリン・ジャクソン 訳 竹内矢寿美


(前頁より)
そして、こうした報道が結局、ジョーとのマネージ契約を更新しないという、息子たちの決心に影響を与えたと言っていいと思います。


「マザー」第18章苦闘の末の“勝利3“
ビッグ・ツアーを企画”



ところが、ジョーについて驚くことは、彼が決してギブアップしない人間だということです。たとえ50回倒れても、そのたびに起き上がり、埃を払って、また最初からスタートするのです。


息子たちとの関係が終わりを告げた1983年の夏、ジョーは状況を観察しました。ジョーに分かったのは、マイケルがまだソロ活動のための新しいマネージャーを雇っていないこと、グループ自体もまだ新しいマネージャーを雇っていないこと、そしてマイケルの「スリラー」が、未だに何百万枚というレコードの売り上げを記録していることでした。


そこにチャンスを見出したのです。
ジョーはジャクソンズを、これまでで最高の売り上げを記録するツアーに出演させるプランを立てました。


それもちっぽけなものではなく、スポーツ・スタジアムより小さな会場ではやらないツアーです。


そして、それを自分がプロモートするというのです!


マーロン
もう一度ツアーをするということはぼくたちも考えてた。だけど、まだプロモーターは決めていなかったんだ。父さんがぼくたちに話しを持ちかけてきた時には、本当に、まだ最初の最初の、最初の段階だった。


息子たちは、ジョーと再び仕事をすることに懸念を抱いていました。しかし、息子たちンも信頼を勝ち取ろうと、ジョー素早く行動を起こしました。


共同プロモーターの候補者の1人とジャクソンズの会計士を交えたミーティングが、ジャッキーの家で開かれましたが、その時もジョーは主導権を握りました。


プロモーターが25万ドルの小切手を会計士に渡したところ、ジョーが「その小切手を返すんだ」と遮ったのです。


会計士が躊躇すると、ジョーは小切手を取って破いてしまいました。「安く売るつもりはない」と宣言して、「このツアーは何百万ドルもの儲けを生み出すし、今度こそその金を、全部われわれのものにしなければ」。


次にジョーは、話題豊富なボクシングのプロモーター、ドン・キングをプロモーターに加えようと、彼にアプローチしました。


実にドラマティックな動きです。キングはジョーのアプローチに飛び付いてきました。「マイケルのアルバムがこれほど成功しているんだから、このツアーは何千万ドルもの収入をあげるに違いない」と読んだのです。


これこそジョーが聞きたかった言葉でした。



1億500万枚売り上げのギネス記録スリラー

「マザー」第18章苦闘の末の“勝利4“私もプロモーター” へ続く




2013年01月10日

ジョーのプライド「マザー」第18章苦闘の末の“勝利2“新しいマネージャーとジョーの争い


Deke-Richards-Berry-Gordy-Freddie-Perren-Alphonzo-Mizell.jpg



マイケル・ジャクソン母著「マザー」
(1990年5月14日)
原題「My Family, the Jacksons」
著者 キャサリン・ジャクソン 訳 竹内矢寿美


(前頁より)
マーロン
父さんとの契約はまだ終わってなかったから、1978年に、ロン・ワイズナーとフレッド・デマンのチームと共同マネージングを初めてもらうよう頼んだのさ。


「マザー」第18章苦闘の末の“勝利2
“新しいマネージャーとジョーの争い



それは、最初から難しい共同作業でした。その上、ワイズナーとデマンがジョーを決定権を持つ立場からはじき出してしまったと知った時、ジョーと彼らの関係は悪化しました。


「あんたたちはオレから息子たちを奪おうとしている。ちゃんとわかってるんだ!」ジョーはある日、2人を非難しました。


ワイズマンとデマンは、そんなことはないと否定します。しかし、すでに息子たちの活動に関して、ジョーが日々関わることはできなくなっていたのです。


1984年、ジャクソンズがワイズナーとデマンとの契約を更新しないというニュースを聞いた時、ジョーはそれこそ狂喜しました。


マーロン
突然、ワイズナーとデマンはマイケルにだけ全ての焦点を当てるようになった。それはそれでいいんだ。少なくともジャクソンズの仕事をきちんとやってくれていればね。ところがそうじゃなかったんだ。マイケルも2人のことでは当惑していたよ。いろいろな理由でね。そう思っていたら、ぼくたちだけじゃなく、マイケルも2人をクビにしちゃった。


ジョーおよびワイズナーとデマンは、マスコミの場を借りて喧嘩を始めました。ジョーは2人のことを、ジャクソンズを“分裂させようとする蛭”のようなものだと言い、そもそも最初にワイズナーとデマンを雇った唯一の理由は、「CBSという会社の組織と闘っていくには、白人の助けが必要だと感じたからだ」と宣言しました。


一方、フレッド・デマンはジョーを人種差別主義者だと言って責めました。「われわれと彼との関係はうまくいっていなかった。しかしそれは、ジョー・ジャクソンが肌の黒くない人間とは誰ともうまくやりたがらないからだと思う」


ジョーは傷つきました。「もし私が人種差別主義者なら、今ここで、君とこうして話していないよ」とジョーは「タイム」誌に語っています。


「差別主義者なら、黒人以外の人間を仕事に雇っていない。差別主義者なら、外に出ていって、黒人を白人にけしかけている。でも、そうじゃないんだ…ぼくはまったく逆さ」


ジョーは真実を語っていたのですが、ワイズナーとデマンとの言い争いが原因となって広まった好ましくない世評を取り消すことはできませんでした。


そして、こうした報道が結局、ジョーとのマネージ契約を更新しないという、息子たちの決心に影響を与えたと言っていいと思います。


1億500万枚売り上げのギネス記録スリラー

「マザー」第18章苦闘の末の“勝利3“ビッグ・ツアーを企画” へ続く


ややこしい人だよねぇ、ジョセフ父は。マイケルたちも大変だったろうね。




2013年01月09日

ヒストリー「マザー」第18章苦闘の末の勝利1“ジョーから離れていく息子たち”



abc_cascio_jackson_090707_mn.jpg
(フランク・カシオが若い〜)


マイケル・ジャクソン母著「マザー」
(1990年5月14日)
原題「My Family, the Jacksons」
著者 キャサリン・ジャクソン 訳 竹内矢寿美


(前頁より)
となると問題は、次のステップとしてマイケルに何ができるか、ということです。ジョーは既に、その答えを用意していました。


「マザー」第18章苦闘の末の“勝利(ヒストリー)1
“ジョーから離れていく息子たち”



ジョーは『スリラー』の成功を最も効果的に生かすには、1984年の夏にマイケルたちがどうしたらいいかというプランを計画しました。


でも、皮肉なことに、その時ジョーはもう彼らのマネージメントについて正式にコメントできる立場にはいませんでした。


1983年の春の契約更新時、息子たちはジョーと再契約する道を選ばなかったのです。


ジャッキー
ぼくたちは父さんに「いいから、ぼくたちにやらせてくれよ。もう自分たちでできるからさ」って言ったんだ。父さんも「わかった」って言って手を引いた。それだけのことだよ。


ジョーは息子たちの前では“冷静”に振る舞おうとしましたが、1人になると泣いていました。「息子たちが離れていくなんて信じられない」と言うのです。「理解できないよ」


私も泣きました。まだジョーの女遊びを完全に許した訳ではなかったのですが、長い間あれほど面倒を見てきた息子たちをただ横で見ているしかないジョーに、哀れを覚えたからです。


もっともその一方で、ジョーも私も分かっていました。1970年代後半からは、マイケルやジャクソンズのマネージャーと言っても、ジョーが名前ばかりだったことも。


高校の卒業証書を持たないジョーの“才覚”なるものは、実地を積み重ねて身につけたものですが、70年代前半、息子たちの仕事を取る時にいくつかの間違いを犯しました。


好ましくない取引や搾取されることが、とりわけツアーの時頻繁にあったのです。


とうとう息子たちはジョーの弱点に気づきました。


マーロン
ある日、父さんの所にみんなで行って言ったんだ。「父さんにも助けが必要だ」ってね。別のマネージャーが欲しかったんだよ。父さんとの契約はまだ終わってなかったから、1978年に、ロン・ワイズナーとフレッド・デマンのチームと共同マネージングを初めてもらうよう頼んだのさ。


1億500万枚売り上げのギネス記録スリラー

「マザー」第18章苦闘の末の“勝利2“新しいマネージャーとジョーの争い” へ続く




2013年01月08日

「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光10““ギネス・ブックに載る記録”



07_13_09-300-0.jpg


マイケル・ジャクソン母著「マザー」
(1990年5月14日)
原題「My Family, the Jacksons」
著者 キャサリン・ジャクソン 訳 竹内矢寿美

(前頁より)
最優秀映画音楽アルバム賞受賞の1人である彼マイケル・ボディッカーは受賞のスピーチで、「映画音楽を書かないでくれてありがとう」とマイケルに感謝したのです。


「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光10
“ギネス・ブックに載る記録”


グラミー賞と、1月に開かれたアメリカン・ミュージック・アウォード(ここでも7つの賞を獲得しました)における勝利によって、『スリラー』の売り上げがまた伸びることをマイケルは知っていました。


ただ、1984年の最初の3カ月に売り上げた枚数を知って、さすがのマイケルもショックを受けたと思います。750万枚ですから!


1984年の前半、シングルの『スリラー』は、アルバムからトップ5になった5番目のシングルになると同時に、トップテンに入った7番目のシングルとなりました。


しかし、マイケルがいちばん求めていたのは、史上最高の売り上げ枚数という記録でした。


そして1984年春、『スリラー』はギネス・ブックに載るに十分な枚数を売りました。


その記録が『1984年度ギネス・ブック』に掲載されています。3500万枚以上売れた『スリラー』は、それまでベスト・ワンだった『サタデー・ナイト・フィーバー』の記録を大きく上回りました。


素晴らしい9つの曲、4つの優れたビデオ、圧倒的勝利を獲得した2つの賞の授賞式への出場、忘れ難いTV出演一回によって、マイケルの夢が実現しました。


となると問題は、次のステップとしてマイケルに何ができるか、ということです。ジョーは既に、その答えを用意していました。



1億500万枚売り上げのギネス記録スリラー


「マザー」第18章苦闘の末の“勝利”1“ジョーから離れていく息子たち”へ続く




2011年07月07日

グラミー賞7部門で受賞の栄光「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光9


(どうぞ最後まで観てくださいね)


マイケル・ジャクソン母著「マザー」
(1990年5月14日)
原題「My Family, the Jacksons」
著者 キャサリン・ジャクソン 訳 竹内矢寿美



(前頁より)
この曲もまた創造力豊かなビデオ『セイ・セイ・セイ』の助けになって、『ビリー・ジーン』同様、6週間チャートのトップを飾ったのです。

michaeljacksonqunicy84.jpg


「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光9
“グラミー賞7部門で受賞の栄光”



もうこれで、1984年2月29日に行われる第26回のグラミー賞では、マイケルが胸いっぱいのブロンズ像を獲得するだろうと、もっぱらの評判でした。

そして、今度は失望しませんでした。

シュライン・オーディトリアムで開かれたこのグラミー賞の前半部分、放送されなかった間にノミネートされた副次的な4部門のうち、3つを獲得した時、その夜はマイケルにとって大変な夜になるとの情報を得ました。


その3つとは、クインシー・ジョーンズと分け合った最優秀録音技術賞、そして、『E・T・』におけるマイケルのナレーションに対する、最優秀子供のための録音賞です。


ゴールデン・タイムのテレビ放映の間、その日のデート相手ブルック・シールズと一緒に、最前列に座っていました。そして、最優秀年間アルバム賞として自分の名前が呼ばれるのを初めて聞いたのです。


「とても名誉なことで……幸せです」マイケルは落ち着かない様子で受賞の弁を語りました。


しかし、そんな落ち着きのなさも、『ビート・イット』に対する最優秀年間レコード賞、『スリラー』のアルバムに対する最優秀男性ポップボーカル歌唱賞、『ビート・イット』に対する最優秀男性ロック歌唱賞、そして『ビリー・ジーン』に対する最優秀男性R&B歌唱賞と、つぎつぎ舞台へ上がる度に消えていきました。


途中でマイケルは一度、CBSレコードのウォルター・イェトニコフを舞台に呼び上げました。別の時には、スポットライトを一緒に浴びようと、リビー、ラトーヤ、ジャネットに上がってくるよう声をかけました。


1965年、ロジャー・ミラーが6つの賞を獲得した時の記憶を破って7つ目のグラミー賞をもらうことになった時、マイケルは勝利のあいさつのために、それまでずっとかけていたサングラスを取ることさえしました。


マイケルの圧倒的な勝利でした。翌日の『ロサンゼルス・タイムズ』は、「グラミー賞でスリラー ジャクソン8」と見出しを付けて、マイケル・ボディッカーのコメントを紹介しました。


最優秀映画音楽アルバム賞受賞の1人である彼は受賞のスピーチで、「映画音楽を書かないでくれてありがとう」とマイケルに感謝したのです。


1億500万枚売り上げのギネス記録スリラー


「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光10“ギネスブックに載る記録”へ続く

その他の海外芸能人←最新情報はコチラ♪

2011年06月28日

運命のビデオ『スリラー』「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光8


マイケル・ジャクソン母著「マザー」
(1990年5月14日)
原題「My Family, the Jacksons」
著者 キャサリン・ジャクソン 訳 竹内矢寿美


(前頁より)
数日後、その番組のテレビ視聴率がどれほど高かったかを聞かされました。何と4700万人の人が見たそうです。次の日には何万人もの人がマイケルのレコードを買いに走り、『スリラー』はもう一度ナンバーワンに輝きました。


thiller2.jpg


「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光8
“運命のビデオ『スリラー』


1983年秋、『スリラー』はあと2つトップテンにシングルを提供しました。1つはマイケルが作曲した『ウォナ・ビー・スターティング・サムシング』、それにもう一つは、ジョン・ベティスとスティーブ・ポルカロの共作『ヒューマン・ネイチャー』です。


アルバムの売り上げ枚数はアメリカだけで800万枚にものぼり、国内で500万枚売れた『オフ・ザ・ウォール』の記録を軽く超えました。


LPからの6枚目のシングル『PYT』はクインシー・ジョーンズとジェームズ・イングラムの共作で、これが10月からチャートを昇り始めると、マイケルは彼の運命を決めることになる3番目のビデオを制作することにしました。


ビデオ化する曲に決めたのはタイトル曲の『スリラー』、ロッド・テンパートンの、恐怖映画を見ながら過ごす夜の楽しくて少し不気味な物語です。


ビデオ化するんだというマイケルのプランを初めて聞いた時、私は『スリラー』という曲がとても視覚的なだけに、むしろ心配でした。


「どうやっても、『ビート・イット』のビデオより良いものはできないんじゃないかしら?」と私は思いました。


「いや、『スリラー』のほうが絶対いいものになるよ」とマイケルは答えます。
「どうやったらもっと良くなるっていうの?」


「まあ、見ててよ」マイケルは自信ありげでした。
映画『狼男アメリカン』が気に入ったマイケルは、その監督のジョン・ランディスを招き、ビデオを制作することにしました。


2人のイマジネーションはどんどん膨らみ、当初の50万ドルの予算ではとても制作できないことがわかりました。


このビデオもマイケルが資金を出していることから、マイケルの弁護士ジョン・ブランカが、『スリラー』の制作過程のビデオを別に作って資金調達に当てたらどうかと提案しました。


彼の計算によれば、2本目のビデオの収入によって、雪だるま式に増える『スリラー』本遍の製作費の収支を合わせることができるという訳です。


マイケルはそのアイデアが気に入り、『メイキング・オブ・スリラー』のビデオが生まれました。


マイケルが『ビート・イット』よりも優れたものを作るだろうとうことが、私には『スリラー』の完成版を見るまでもなくわかりました。


一度セットを訪れただけで、確信を持ったのです。いたるところに、信じられないほど見事なメイク・アップをしたモンスターたちが溢れていました。


「みんな、このビデオを気に入るわ」と考えたものです。

14分の長さの『スリラー』は、短編映画と言っていいほど質の高いビデオです。自分は“他の連中とは違う”ということを目の当たりに示す主人公のマイケル、ショックを受け、うろたえるガール・フレンド、恐ろしい墓場のシーン、これまで見たこともないようなモンスターたちの踊り……。

その中でマイケルは、もちろん、最新のステップを見せてくれるのです。


1983年12月2日、『スリラー』のアルバムが発売された1年と1日後に、MTVでビデオ『スリラー』が初めて放映され、世界的な話題となりました。


放映の1週間前、マイケルのアルバムは20万枚売れました。これは発売1年後にしては驚異的な数字です。


そして1週間後、前の週の3倍のアルバムが売れ、『スリラー』は超スピードで再びナンバーワンに返り咲きました。


同時に全国で『メイキング・オブ・スリラー』のビデオが売り出されました。最終的に90万本売れたこのビデオは、ミュージック・ホーム・ビデオとしてはそれまでで最高の売り上げ記録を作り、これによって120万ドルかかった『スリラー』のビデオ製作費をカバーする以上の収入をあげることができました。


1か月の間にこれだけのことが起きてもまだ足りないかとでも言うように、マイケルは1983年末、ポール・マッカトニーと『セイ・セイ・セイ』をデュエットして、それをナンバーワンのシングルにしてしまいました。


この曲もまた創造力豊かなビデオ『セイ・セイ・セイ』の助けになって、『ビリー・ジーン』同様、6週間チャートのトップを飾ったのです。

1億500万枚売り上げのギネス記録スリラー

グラミー賞7部門で受賞の栄光「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光9 へ続く

その他の海外芸能人←最新情報はコチラ♪

2011年06月27日

ムーン・ウォークに全米が熱狂「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光7

マイケル・ジャクソン母著「マザー」
(1990年5月14日)
原題「My Family, the Jacksons」
著者 キャサリン・ジャクソン 訳 竹内矢寿美


(前頁より)
特にマイケルの『ビリー・ジーン』がどんなふうになるのか、私には見当がつきませんでした。まったく動かないで歌の練習をするだけでなく、アクションについては、話してくれようとさえしませんでしたから。


moonwalk motown25.jpg

「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光7
“ムーン・ウォークに全米が熱狂 “


〈モータウン25周年〉は素晴らしいショーとなりました。ニールセンでもナンバーワンの視聴率を獲得し、エミー賞の『ベスト・バラエティー(音楽またはコメディー)部門』を獲得したのです。


賞にはさまざまなハイライトがありました。スモーキー・ロビンソンがミラクルズの一員として歌ったり、ダイアナ・ロスがシュープリームスとステージに立ったり、フォー・トップスとテンプテーションズが「バンドの競演」ということで一緒に歌いました。


そしてもちろん、ジャクソンズの再編成は、とりわけ大きな興奮の渦を巻き起こしたのです。


メドレーが終わり、マイケルが1人でスポットライトを浴びて立っています。
兄弟と“昔のヒット曲”を歌い終わった彼は、『今、お聞かせしたのは懐かしい、古き良き昔の曲です』と言い、さらに「だけど、ぼくが本当に好きなのは新しい曲なんだ」とつけ加えました。


moonwalk motown25-1.jpg

その瞬間、『ビリー・ジーン』のヘビーなビートが鳴り始めます。
イントロに気づき、観客の多くがすぐさま立ち上がります。身長が155センチしかない私は、少しでも何か見たいと思ったら飛び上がるほかありません。


同じように私の隣りで立ち上がったジョーが言いました。「マイケルの独壇場だね」

「黙って、あの子はまだ何もしてないじゃないの!」と私は叫んでしまいました。


しかし、すぐにマイケルは披露したのです。ムーン・ウォークを。「これが驚かせるっていうことだったのね」と私は納得しました。


踊り手が前方に向かって歩いているようにも、後方に向かって歩いているようにも見えるムーン・ウォークは、当時真新しいものだと一般的には言われましたが、決してそうではありません。


1930年代の短編映画などでは、多くの黒人たちがそんな動きをしています。マイケルは古い映画を観るのが大好きで、そんな短編をよく研究していたのです。


malsel.jpg


マイケルはまた、パントマイムのマルセル・マルソーの映画を見るのが大好きでした。マルソーも同じようにすべるような歩き方をします。
(マルソー氏についてはマルセル・マルソー氏)へ)


当時、ストリートで踊ってみせていたチンピラ少年たちも、同じような動きをします。そもそも“ムーン・ウォーク”という名が生まれたのも、その辺りからです。


ただムーン・ウォークが有名になったのは、『ビリー・ジーン』を歌いながら見せたマイケルの電撃的な踊りによってです。


それによってマイケルは、「バラエティー及び音楽プログラムにおける最優秀故人パフォーマンス」でエミー賞にノミネートされました。


マイケルの動きをステージわきのテレビモニターで見ていた兄弟たちは、自分たちが目にしているものが信じられませんでした。


マイケルは兄弟たちにさえ、ムーン・ウォークのことを気づかれないようにしていたのです。テレビの観客だけではなく家族をも驚かせたかったのです。


数日後、その番組のテレビ視聴率がどれほど高かったかを聞かされました。何と4700万人の人が見たそうです。


次の日には何万人もの人がマイケルのレコードを買いに走り、『スリラー』はもう一度ナンバーワンに輝きました。


1億500万枚売り上げのギネス記録スリラー

「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光8運命のビデオ『スリラー』
へ続く

その他の海外芸能人←最新情報はコチラ♪


2011年06月22日

〈モータウン25周年〉のショー「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光6

マイケル・ジャクソン母著「マザー」
(1990年5月14日)
原題「My Family, the Jacksons」
著者 キャサリン・ジャクソン 訳 竹内矢寿美


(前頁より)
そこまではすべて順調!しかし、5月に入るとアルバムはチャートを下り始めたのです。『スリラー』を過去最高のベストセラー・アルバムにし、『オフ・ザ・ウォール』を超えるためにも、マイケルとしてはなんとかこの『スリラー』の下り坂カーブを上昇させるドラマティックな手を打つ必要がありました。


Edward Van Halen2.jpg

「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光6
“〈モータウン25周年〉のショー“

ドラマティックな手は、5月16日に放映されたNBC特別番組〈モータウン25周年 昨日 今日 そして永遠に〉への出演でした。


皮肉なことに、マイケルは兄弟と一緒にこの特別番組に出演するよう、いろいろな人に勧められて初めて出演したのでした。私も勧めた1人でした。


「お前やみんなが第一歩を踏み出すのに、モータウンは力を貸してくれたわ」私は過去を思い出させました。「それに小さい時大好きだった憧れのスターたちと同じ舞台に立てるのよ



マイケルは考えてみると言いました。そしてある日、ベリー・ゴーディがスタジオに自ら出向いてマイケルを口説いたので、ようやくOKを出したのです。

Berry-Gordy-Michael-Jackson-and-Suzanne-de-Passe.jpg



ただしミスター・ゴーディに条件を1つ出しました。兄弟と一緒にジャクソン・ファイブのヒット・メドレーを歌ったあとで、『ビリー・ジーン』を歌うことを認めてほしいということです。


『ビリー・ジーン』が全体のプログラムの中で唯一モータウンの曲でないということになるのですが、ミスター・ゴーディにどうして拒否することができたでしょう?


私は息子たちがテレビの特別番組に出るのが嬉しくて仕方ありませんでした。みんな一緒に出るのが『トライアンフ』のツアー以来初めてだという以上に、ジャーメインとまた共演できるからです。


ジャーメインは、それまでのレコードの売り上げが満足すべきものではなく、最近モータウンから離れたところでした。


1976年から82年の間に7枚のアルバムを出し、その中には1980年、ダブル・プラチナに輝いた『レッツ・ゲット・シリアス』があります。


このLPには、ステーヴィー・ワンダーが作曲し、プロデュースし、共演した同盟のタイトルの、トップテンを飾ったシングルが入っています。


モータウンから離れるにあたって、ヘイゼルはジャーメインの決心を支持しました。ミスター・ゴーディもまた、義理の息子との仕事上の分裂は
「友好的なものというだけではなく愛に包まれたものだ」という、嬉しいコメントを添えてくれました。


言うまでもなく、家族にとってジャーメインがまたグループに戻ることは大歓迎です。息子たちは自分たちの出番を家で練習しました。


問題はランディをどうするかということでした。マイケルが「知ってのとおり、ランディはモータウンを離れてからグループに加わったんだから舞台には立てないよ」と宣言したのを聞いて、ランディはがっかりしたことと思います。


しかし、最終的には、メドレーの時にはランディは退場することに決まりました。


私は舞台でどんなことをやるつもりなのか知りたくてたまりませんでしたが、“リハーサル”を見る限りでは見当もつきませんでした。


リハーサルではいつもそうなんです。リハーサルでは立ち上がって歌うだけです。


「もっといろいろやってみなきゃ!」とよく言ったものです。「こんなんじゃつまらないショーになってしまうわよ!」と。


「母さんや家族の前でリハーサルをするのは恥ずかしいんだよ」というのが息子たちのいつもの答えでした。


「あらそう。じゃ、アリーナで何千人もの人の前で歌ったりするのは恥ずかしくないの?」そんな質問にも、息子たちはちゃんといつも答えを用意していました。


「それはね、母さん、お客は身内じゃないからさ」


特にマイケルの『ビリー・ジーン』がどんなふうになるのか、私には見当がつきませんでした。まったく動かないで歌の練習をするだけでなく、アクションについては、話してくれようとさえしませんでしたから。

「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光7“ムーン・ウォークに全米が熱狂 “へ続く

1億500万枚売り上げのギネス記録スリラー

その他の海外芸能人←最新情報はコチラ♪


2011年06月21日

アルバム『スリラー』でカバー・ストーリーに“「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光5


マイケル・ジャクソン母著「マザー」
(1990年5月14日)
原題「My Family, the Jacksons」
著者 キャサリン・ジャクソン 訳 竹内矢寿美


(前頁より)
ビリー・ジーンが発売、6週間トップの座を守ったのですが、これは、これまでのジャクソンファイブやマイケル・ジャクソンのナンバー・ワンの曲より長い記録です。


rolling stone1.jpg

「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光5
“アルバム『スリラー』でカバー・ストーリーに“


2月の末には『スリラー』がアルバム・チャートのトップに躍り出ました。また多くの批評家も“推薦盤”リストのトップにあげました。


たとえば、『ローリング・ストーン』誌は、「この素晴らしい才能を持ったアーティストが、今また新たに創造性を高めて、もうひとつの可能性を見せてくれた」。


『ピープル』誌「敢えて実験をしようという心意気と、完璧なリズムのセンスが、このアルバムをタイトルどおりのものにしている」。『ニューヨーク・タイムズ』「見事な作り…アルバム全体に自信が満ち溢れているのが感じられる」


その月、マイケルは『ローリング・ストーン』誌のカバー・ストーリーに登場しました。


3月、『ビリー・ジーン』がまだナンバー・ワンを続けている中で、『ビート・イット』のシングルとビデオが発売されました。


eddie van halen.jpg

エディ・ヴァン・ヘイレンの素晴らしいギター演奏をフィーチャーしたこの曲は、4月にはチャートのトップに駆け上がりました。


そこまではすべて順調!しかし、5月に入るとアルバムはチャートを下り始めたのです。『スリラー』を過去最高のベストセラー・アルバムにし、『オフ・ザ・ウォール』を超えるためにも、マイケルとしてはなんとかこの『スリラー』の下り坂カーブを上昇させるドラマティックな手を打つ必要がありました。




1億500万枚売り上げのギネス記録スリラー

「マザー」第17章震えるほどの名誉と栄光6“〈モータウン25周年〉のショー“へ続く

その他の海外芸能人←最新情報はコチラ♪
人気ブログランキングへ にほんブログ村 芸能ブログ 海外芸能人・タレントへ

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。