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2016年09月09日

アナザーストーリーズ『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その8



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その前日も、トラヴィスはマイケルと一緒にいた。


トラヴィス
――マイケルと最後にあったのは、2009年6月24日、「This is it」のリハーサルをしていたんだ。「おやすみ」って言って別れたんだ。「また明日ね」って‥‥。それが最後の会話になるなんてね‥‥。


亡くなる前、マイケルはトラヴィスにこんな言葉を送っていた。



トラヴィスへ
限界なんてない
どんな山も登れる
君の理想を信じて突き進め




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マイケル自筆の内容




マイケル亡き後、トラヴィスはマイケルに関する仕事を一手に引き受けた。あの日のムーンウォークを見て、夢を抱いた少年は、マイケルのこだわりを形にできる唯一の後継者となっていた。



トラヴィス
――いまでも頭の中で聞こえるんだ、
「もっと行けるだろ?」「それでいいの?」
だからいつも、これならマイケルもいいって言うだろうって、10年経ってもいいもんだと言うだろうって、彼の声を聞き続けているんだ。



わずか2秒間のムーン・ウォークが多くの人の人生を変えた。夢を叶えた者、今も多くの夢を追い続けている者…死してなお、強い光を放ち続けるスーパー・スター、マイケル・ジャクソン。



あの日から32年、2015年2月28日、モータウン25が初めて再放送された。マイケルがムーン・ウォークを見せたあの躍動感がよみがえる。昔見た世代も、今初めて見る世代も、みんな彼の虜だ。



ジャッキー・ジャクソンにとって、マイケルは今も最高の弟だ。



ジャッキー・ジャクソン
――ステージにいると、今もマイケルの存在を感じるんだ。彼の魂とともに舞台に立っているんだ。あいつは生涯マイケル・ジャクソンであり続けた。ほかにマイケル・ジャクソンになれるやつはいない。



キング・オブ・ポップを生んだ2秒間、その伝説は永遠に輝き続ける


終わり
読んでいただきありがとうございました。






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アナザーストーリーズ『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その7

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ポール・マッカートニーはじめ、数々の白人のトップスターたちと共演。人種の壁を越えて、ヒットを重ねていったマイケル。だがこの頃から、ひとつの疑惑がささやかれるようになる…。


マイケルは、白人になりたいのではないか…


見た目の変化がこの疑いに拍車をかけた。

―スティーブン・アイボリー(マイケルを長年取材した音楽記者、59歳)
彼は深刻な皮膚病に苦しんでいたんだ。あまりに症状がひどくて、黒い肌にほとんど戻せなかった…。結局肌全部を白くするしかなかったんだ。けっして、白人になりたかったわけではないんだよ。
(白斑病、皮膚の色素が部分的に抜ける皮膚疾患。アメリカでの発生率は1%前後)


マイケル、君はわたしと同じだ



アステアの言葉は、一種の予言だった。
―――きっと君はわたしと同じように人種を超えたスターになれる。



マイケルの賛辞を贈った4年後、フレッド・アステアはこの世を去る。同じ年、アステアからバトンを受け取ったことを、マイケルは鮮烈な形で示した。




映画「ムーン・ウォーカー」の最大の見せ場、スムースクリミナル、アステアの映画、「バンドワゴン」と全く同じ演出をしているのだ。





白いスーツ、白い帽子に青いシャツ。
目にも鮮やかな赤いドレスとの女性とのダンス。
マイケルがアステアと並ぶ存在になったと、世界が認める圧巻のパフォーマンスだった。


The Band Wagon - Fred Astaire and Cyd Charisse





フレッド・アステアから受け取ったバトン…
1993年 スーパーボール ハーフタイムショー
http://michaels-page.seesaa.net/article/441741254.html
1996年 アルバム「History」ワールドツアー
2001年 アルバム「Invincible」発売


その先はもう、誰も見たことがない世界・・・・

2009年「This is it」ツアーリサイタル…
だが、その道半ばにして、彼は倒れた。


世界の頂点に君臨したまま、この世を去った、マイケル・ジャクソン。
ハリウッドのレジェンドたちが名を連ねるハリウッド・ウォーク・フェイムにマイケルはいる。敬愛するフレッド・アステアとともに・・・・。


世界中が悲しみに暮れたマイケルの死。
その晩年、彼は何を見つめていたのか…。
それを最もよく知る男、トラヴィス・ペイン。


死の前日まで、彼のそばに居続けたトラヴィス。32年前11歳の少年だった彼もあのムーン・ウォークを見つめていた一人だった。


最後の日々を知る男

スーパースターマイケルの、彼だけが知るアナザー・ストーリー

並ぶものなきスーパースターとなったマイケル。
ムーン・ウォークに始まる物語は、その絶頂で終わる。


16年もの間、振付師としてマイケルを支え、幻のラストツアー「This is it」の振り付けも担当していた。人呼んで「マイケルの分身」。


トラヴィスは帽子を手に、「マイケルにとって帽子というのは大事で、完璧な形でないといけないんだ」と語る。


子どもの頃から運動神経抜群、踊ることが大好きだったトラヴィスは、もともとはバレーを習い、プロを目指していた。


しかし12歳のときあのモータウンのときのマイケルのムーン・ウォークを見たことが、彼の運命を大きく変える。


トラヴィス
――あれは本当に衝撃的だった。あのとき将来ぼくは何をしたいのかわかったんだ。本当に魔法のような瞬間だった。あれを見て、ぼくはこの世界に入る、マイケル・ジャクソンと仕事をするって決めたんだ。


それから8年、ストリートダンス、ジャズダンス、あらゆるダンスに必死に打ち込んだトラヴィスは、高校卒業後すぐ、ロサンゼルスにやってきた。チャンスをつかんだのは、19歳のときだった。マイケルのミュージックビデオに参加する機会を得た。


トラヴィス
――仕事は、1.2.3、ワン・ツー・スリーとカウントする係。だけど忘れられないね、その時初めてマイケルに会えたんだ。「ぼくはこれまでの人生であなたに会うことだけを夢見て頑張ってきたんです」と「大人になったらあなたと一緒にさせて下さい」と言ったんだよ。そしたら、一言「クール、クール、ファイン」とマイケルは言ったんだよ。



トラヴィスには、すでにどんなダンスでも踊れる実力があった。
マイケルはそれをひと目で見抜いた。わずか1年でライブの振り付けに抜擢された。



それから16年(1993年〜2009年まで)マイケルの振付師・バックダンサーを務める。マイケルの仕事に関する凄まじい完璧主義にいつも圧倒されていた。



トラヴィス
――例えば「ゴースト」というビデオは、完成まで4年もかかったんだけど、それは彼が、「映像技術の進歩をまとう」、と言い出しからなんだ。



Michael Jackson's GHOSTS




金字塔を打ち立てた「スリラー」以降、ヒットの重圧がマイケルにのしかかり、作品を発表するペースは遅れ、プライベートばかりが追い回される…トラヴィスがかかわった16年間で発表したアルバムはわずか2枚。だが売り出したとたん、チャート1位だった。



人びとは常に、次回作は?新作は?と期待する。それがさらにマイケルを追い詰めていった。



トラヴィス
――新しいものを最高の状態で世に出す、マイケルが望んでいたのがそれだ。それには時間が必要なんだ。モータウン25の時とは、もう別人なんだ。



最高の作品を作るには、最高のスタッフが必要。
その凄まじいこだわりゆえに、マイケルの下を去らざるを得なくなった者もいた。運転手兼付き人だったネルソン・ヘイズは、51歳で突如契約の終了を告げられた。



ネルソン・ヘイズ
――そのころは、マイケルの周りにあまりにたくさんの人がいて、もうマイケルに直接話をすることができなくなっていた。もちろん、時々私を見つけることがあれば、「ネルソン!」って呼びかけてくれて、そりゃうれしかったよ。わたしはマイケルに電話して、仕事をくれとはもう言えなかった。わたしは不運だったのかな?いや幸運だったよ…。だってマイケルが輝き続けた日々をともにできたんだから。
ネルソン・ヘイズとマイケル



兄たちとの距離も遠くなった「モータウン25」の後、兄弟が共演したのはわずか1回。マイケルはもはや、1人で光を放つ存在だった。



ジャッキー・ジャクソン
――嫉妬なんて全くない。あいつの活躍は純粋にうれしかったよ、だって弟なんだから。俺は最初からあいつの成功はわかっていたんだ、すぐにビッグになるってね。


そんな中、マイケルが最後のツアーと銘打ってツアーを始めたのが「This is it」だった。



トラヴィスは、マイケルから全幅の信頼を得て振り付けを任される。



トラヴィス
――マイケルの作品は、その時その時の彼自身の人生を映し出した鏡なんだ。「This is it」は、その決定版になるはずだった。ぼくはマイケル自身をひとつの作品にしたかった。美術館に飾られる名画のように、時代が変わっても評価され続けるものにしたかったんだ。



ツアーのチケットはたちまち完売、時を経ても色あせない最高のマイケル像を見せるはずだった。だが、公演初日の18日前、マイケル・ジャクソンは帰らぬ人となる。



2009年6月25日マイケル・ジャクソン死去



その前日も、トラヴィスはマイケルと一緒にいた。


トラヴィス
――マイケルと最後にあったのは、2009年6月24日、「This is it」のリハーサルをしていたんだ。


マイケル・ジャクソン『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その8へ続く





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2015年05月18日

アナザーストーリーズ『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その6


マイケル・ジャクソン降臨
“ダンスの神様”の教え



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たった2秒間の「ムーン・ウォーク」で喝さいを浴びたマイケル。しかし、彼をなにより喜ばせたのはある男からの一本の電話だった。


ダンスの神様、フレッド・アステア。


マイケルは幼い頃からずっとアステアに憧れていた。

Story3

あの夜、84歳のアステアは、ハリウッドの自宅にいた。
「ムーン・ウォーク」を観たアステアは、わざわざ電話をかけ、絶賛の言葉を贈った。


頂点を極めた白人ダンサーと世界を掴んだ黒人のスーパースター。
人種という壁を越えて惹かれあう二人の天才のアナザーストーリー。


フレッド・アステア(1899-1987年)

1920年代からトップハットとステッキをトレードマークに、世界を魅了し続けた20世紀最高のダンサーだ。


あの日テレビで「ムーン・ウォーク」を観た彼は、60歳も年下のマイケルにこう告げた。


「君は私と同じだ」


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「君は私と同じだ」、その言葉の意味とは?


視点3 ショービジネスの覇者


フレッド・アステアとマイケル・ジャクソン。
年齢も肌の色も違うふたり。だがその才能は、人種という壁を越えて深く響き合っていた。



マイケルにとって、アステアはどんな存在だったのか…。

踊りの面からそれを読み解いた男がいる。


ビヨンセ、レディ・ガガ、マドンナ、ブリトニー・スピアーズ、エンリケ・イグレシアス、リッキー・マーティンなどの振り付けで知られる世界一の振付師トラビス・ペインだ。


トラビスはマイケルの晩年、ほぼすべてのライブやミュージックビデオで、振り付けを担当した。


彼によれば、あのモータウン25でのパフォーマンスは、アステアなしではあり得ないものだと言う。


―トラビス・ペイン(43歳振付師)
そもそも帽子というのは1930年代のアステアを象徴するアイテムなんだ。マイケルも彼に習って帽子を使ったんだけど、手の位置を変えた。手を横に真っ直ぐ置くのがアステア流なんだけど、マイケルは手を90度前に持ってきた。つまりアステアを自分流にアレンジしたんだ。


もうひとつ。足首に飾りをつけて、動きを目立たすのがアステアのスタイルなんだけど、マイケルはそれも採り入れていた。マイケルは、アステアのスタイルから多くのことを学んでいた。


彼はいつもこう言っていた。
「偉大になりたければ偉大な者に学べ」

マイケルは幼い時からアステアに憧れていた。


―ジャッキー・ジャクソン
アステアはマイケルのスターだよ。アステアの映画をテレビでやると、みんなにも、「観ろ」と言って結局オレも見る羽目になったんだ。(笑)


「モータウン25」の放送翌日、アステアは自らマイケルの電話番号を調べ、電話をかけてきた。


―ジャッキー・ジャクソン
あのアステアから電話がかかってきて、マイケルはガチガチに緊張していたよ。だって憧れのスターだよ。


そしてアステアは、マイケルをハリウッドの自宅に招待した。


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―ジャッキー・ジャクソン
自分で運転して、自分で扉叩いて「こんにちは」って。あのマイケル・ジャクソンがだよ、そんなことめったにない。


―ジャッキー・ジャクソン
これからの業界がどうなっていくか、何をすべきか、何をすべきでないか、教えてくれたそうだ。アステアはマイケルが気に入ったらしい。何もかも学びたいというマイケルの素直な気持ちを、受け止めてくれたんだ。


フレッド・アステアは、白人…しかし黒人の文化だったタップダンスの魅力をいち早く見出し、エンターテイメントの頂点まで引き上げた。


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映画『有頂天時代』


そもそもタップダンスは18世紀、アメリカにやってきた黒人奴隷たちが、ドラムを禁じられた替わりに見出したもの。


アステアは幼少期から、黒人ダンサーからタップを学び、それをバレエやジャズダンスの動きと巧みに融合し、別次元のものへと変えていった。バックスライドを、ムーン・ウォークに変えたマイケルのように…。


人種を超える人気を誇ったアステア。そのアステアがマイケルに贈った、
「君は私と同じだ」という言葉の真の意味…。


あの日、劇場にいた音楽記者はこう明かした。

―スティーブン・アイボリー(マイケルを長年取材した音楽記者、59歳)
フレッド・アステアはあらゆる人から愛された、世界一有名になったダンサーだ。その彼に、「私と同じだ」と言われたことは、すごい価値があると思っている。マイケル以前は、どんなに人気があっても黒人には限界があった。


ジェームス・ブラウンにしろ、サミー・デイビス・ジュニアにしろ、ファンの層は限られていた。黒人ダンサーで、アステアのような人種を越えた世界レベルを誇った人物は誰もいなかった。


ところが、マイケルはあのステージでまさにそういう存在になったんだ。あの言葉は、アステアからマイケルに渡されたバトンだったと私は思うよ。



ポール・マッカートニーはじめ、数々の白人のトップスターたちと共演。人種の壁を越えて、ヒットを重ねていったマイケル。


だがこの頃から、ひとつの疑惑がささやかれるようになる…。

マイケル・ジャクソン『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その7へ続く




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2015年05月09日

アナザーストーリーズ『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その5 45度の仕掛け


ストリートの技、バックスライド、マイケルだけがその真価を見抜き最高の技へと変貌させた。もはや『ムーン・ウォーク』はマイケルにしかできない『魔法』となっていた。



クーリーは地元のケーブルテレビなどで、「ムーン・ウォーク」などを披露したが話題にはならなかった。その後アメリカを離れ、日本でダンスの仕事を続けた。このままマイケルとクーリーが出会うことなどないかと思われた。しかし…。



「モータウン25」の4年後、数奇な運命が再び二人を引き合わせる。
クーリーはマイケルの映画に出演したのだ。(当時25歳)奇しくもそのタイトルは、「ムーンウォーカー」だった。(1987制作)



当時ダンスの最高峰ともいわれたこの映画のオーディションを受け見事に合格。ダンスの腕はなまってはいなかった。



クーリー25歳、マイケル28歳…。
6年ぶりに再会したマイケルは、さらに進化していた。



新しい『魔法』を魅せるために知恵と工夫の限りを尽くしていた。
体を45度傾けまた起き上がる(スムースクリミナルあの有名なシーンですね)…。実はこのシーンにクーリーも参加した。



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―クーリー
実はぼくらの体に付けたワイヤーを係が操作している。でもワイヤーは絶対に見えない。傾いても倒れない特別な靴まで作っていた。そこまでするなんて…。ほんとにとてつもない男だよ。



マイケルはこの仕組みを「ゼログラビティ(無重力)」と名付け、特許を取得、これもまたマイケルだけの『魔法』となった。


そして結局この映画が、クーリーとマイケルが会った最後となった。
マイケル専属のバックダンサーになる道もあったが、ダンサーとしてのプライドがそれを許さなかった。


それから27年、ダンサーとして求められる仕事はすべて引き受けてきたクーリー。インターネットの動画サイトが普及した頃、彼がアップした一本の動画…。


How to MoonWalk(2008年)
マイケルに教えたのと同じ手順、これがダンスを学ぶ若者たちに大きな話題となった。再生回数は130万回以上。


―クーリー
あと必要なのは小さな火花だけだ、小さな火花があれば大きな火花になる。まだぼくだってやれるさ、火花さえあれば。マイケルより大きくなってるかもしれない…。


マイケル・ジャクソンに「ムーンウォーク」を教えた男クーリー、世界の頂点を垣間見た男は、今も大きな夢を追い続けている。



たった2秒間の「ムーン・ウォーク」で喝さいを浴びたマイケル。しかし、彼をなにより喜ばせたのはある男からの一本の電話だった。


マイケル・ジャクソン『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その6へ続く



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2015年05月08日

アナザーストーリーズ『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その4


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ほんの一瞬のバックスライド、これを見たある人物からすぐに連絡があった。


―クーリー
マイケルのマネージャーからさ。
マイケルが見ていたんですよってね。あのアイドルのマイケル・ジャクソンが自分たちにダンスを教えてほしいって!?


クーリーたちは、半信半疑のままマイケルの自宅に向かった。


―クーリー
ぼくらは車で行ったんだよ、え?これっ?って思うくらい大きな家だった。だって、中には練習用のステージが丸ごとあったんだ。家のドアを開けたらステージだよ、驚いたよ。


そして現れたのは、正真正銘のマイケル・ジャクソンだった。


―クーリー
お互い自己紹介した後、ダンスについていろいろ聞いてきた。だから俺たちはしゃべりまくった。それでその日はおしまい、ダンスは教えなかった。次の日もしゃべった。でも踊らなかった。



マイケルは慎重だった。見ず知らずの若者からダンスを教わるのは相手を見極めてからでないと、うかつなことは頼めない。


「ステップを見せてよ」


ようやく言ったのは、3日目のことだった。

クーリーは自慢のステップを何種類も見せた。
ターンしたり横にすべったり…。そして後ろに下がるバックスライドを見せた時、


―クーリー
それだ!それだよってトツゼン叫んだんだ。

マイケルが望んでいたのはただ一つ、バックスライドだけだった。


―クーリー
教えてみたけど、こう言ってたよ、
(マイケルの声をまねて)「つかめないな つかめないな」
でも5時間練習したら、最後にはコツをつかんでいたよ。



レッスンが終わり、帰ろうとしたクーリーたちをマイケルは呼び止める。


―クーリー(19歳)
1000ドルくれたんだよ。1000ドル…何も考えずにもらったんだよね。まだ10代のガキだったから、あとで考えればその時契約書とかを結べばよかったのかもしれない。



こうしてレッスンは終了。
だが、マイケルはバックスライドをすぐには披露しなかった。


実はこのころマイケルは、人生を賭けた一大プロジェクトに着手していた。のちに世界一の売り上げを記録するアルバム『スリラー』の制作に取り組んでいた。


「『スリラー』は『オフ・ザ・ウォール』以上のものじゃなきゃいけないんだ
                    (著書、ムーン・ウォーク河出書房)

「前と同じことをするだけでは不十分なのです」 (著書、ムーン・ウォーク河出書房)



世界で唯一の1億枚以上売り上げたアルバム『スリラー』、大成功の裏には練りに練った作戦があった。


1982年12月発表の『スリラー』、ゲストに招かれたのは世界の大スターばかり…ポール・マッカトニーや、世界一のギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンが参加。曲そのものもそれまでのマイケルと違った。


たとえば「ビリー・ジーン」、あえて男女の関係を赤裸々に歌った。


ビリー・ジーンはぼくの恋人じゃない♪
彼女はそうだって言っているが♪



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そしてとどめの一撃、それこそが「ムーン・ウォーク」だった。そんなマイケルの計画などつゆ知らぬクーリー…。自宅のテレビで「モータウン25」でのマイケルのステージを観た。


―クーリー
ずっと言ってたんだ、バックスライドをいつやるんだ、いつやるんだって。テレビを観て思わず「ついにやった!」と叫んだよ。嬉しかった。だって彼は生徒だからね。ぼくらが教えた。



クーリーは悟った。なぜマイケルが2年もの間、バックスライドを見せようとしなかったかを。


―クーリー
マイケルはチャンスを待っていたんだ。それが「モータウン25」だった。相手はステージの客じゃない、テレビを通じて世界中に見せつけたかったんだよ。



「モータウン25」を観た人はレコード店に殺到、「スリラー」の売り上げは急激に伸び、グラミー賞8部門受賞達成を成し遂げた。


1984年グラミー賞8部門受賞(史上最多)

最優秀レコード賞
最優秀アルバム賞
最優秀男性ポップ歌手賞
最優秀ロック歌手賞
最優秀男性R&B歌手賞
最優秀R&Bソング賞
最優秀児童向けレコード賞
最優秀プロデューサー賞



のちに「ムーン・ウォーク」が習ったものであることを明かした。だが誰に習ったかは明かさなかった。


「『ムーン・ウォーク」を僕に教えてくれたのは3人の子どもたちでした』


―クーリー
マイケルがもし、クーリーが教えてくれたと言ってくれていたら何もかも違っていたかもしれないね。「おい、マイケルに『ムーン・ウォーク』を教えたスゲーダンサーがいるぞ」って。でも、そうはならなかった、まさかあのバックスライドがわお、って言われるような特別なものになるなんて思ってもみなかった。マイケルが『ムーン・ウォーク』と名付けたことで全く別のものになったんだよ。


ストリートの技、バックスライド、マイケルだけがその真価を見抜き最高の技へと変貌させた。もはや『ムーン・ウォーク』はマイケルにしかできない『魔法』となっていた。

マイケル・ジャクソン『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その5へ続く



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2015年05月07日

アナザーストーリーズ『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その3


だが、その目はさらに先を見ていた
このイベントは7週間後、全米で放送されることになっていた。


マイケルはその編集には恐るべきこだわりを見せた。


―ドン・ミッシャー(モータウン25総合演出)
マイケルは、自分の場面は自分で編集すると言い出したんだ。モメたのは顔のアップのことだ。あのころはスターならアップが当たり前だった。だから私も当然、アップをたくさん入れようと思っていた。




でもマイケルは私の意見を却下し、クローズアップをほとんど使わせなかったんだ。彼は、わたしをまっすぐ見て、「この編集を絶対変えないで」、そう訴えていた。だから私も、「わかった、絶対に変えない」と約束したんだ。


映像を観るとマイケルの狙いがわかる。
クローズアップはごくわずか。
マイケルの全身が写っている。
だから動きのすべてが見える。


その結果、翌日には誰もがやり始めたのだ「ムーン・ウォーク」を。


ローリング・ストーン誌の記事
「翌朝には、アメリカ中の子どもたちが校庭であの動きを真似し始めた」


アメリカ中の子どもがあの動きを校庭で真似し始め、「ムーン・ウォーク」は瞬く間に社会現象となり、マイケルは一気にスーパー・スターへと駆け上がった。


―ドン・ミッシャー
彼の狙いはすべて的中した。
わたしは、マイケルを今でも心底尊敬しているよ。


―ジャッキー・ジャクソン
すごいって?これぞマイケル・ジャクソンさ。自分の歌がやりたいと言って周りを納得させ、そのステージで大物連中も黙らせ、最後には世界をねじ伏せた。(満面の笑顔)
あの「ムーン・ウォーク」はそれだけの力があったんだよ。


世界の人々をとりこにしたマイケル・ジャクソンの「ムーン・ウォーク」。しかし、それはマイケルが発明したものではなかった。


19歳の青年、クーリー・ジャクソン・・・彼こそがマイケルに「ムーン・ウォーク」を教えた男だった。


Story2

マイケルの「ムーン・ウォーク」が初めてテレビで流れた夜、劇場から500km離れた自宅にいた。複雑な思いでその様子を見つめていた。

もうひとりのムーン・ウォーカー…
マイケルの素顔を垣間見た男が語る。


町はずれのディスコで若者と踊る男、熱心に教えているのはムーン・ウォーカー。そう、本当は彼こそがムーン・ウォーカーだった。

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クーリー・ジャクソン



プロダンサー、クーリー・ジャクソン(53)氏は、ダンス歴45年になる。幼いころからストリートダンスの技術を磨いてきたクーリー。不思議な縁でマイケルと結ばれることになる。


―プロダンサー、クーリー・ジャクソン
これがおれだよ、(録画画面を観せながら)18歳くらいかな。後ろに下がってるでしょう?受けていたよ(笑)。


マイケルが「モータウン25」でムーン・ウォークを披露する2年前、クーリーはアマチュアダンサーがパフォーマンスを競う「ソウルトレイン」(1981年3月放送)に出演した。


―プロダンサー、クーリー・ジャクソン
ぼくらは、バックスライドって呼んでいた。前に進んでいるようで後ろに下がるからね。


ほんの一瞬のバックスライド、これを見たある人物からすぐに連絡があった。

マイケル・ジャクソン『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その4へ続く



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2015年04月25日

アナザーストーリーズ『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その2


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ネルソン・ヘイズ氏とマイケル



勝負の舞台は整った。


マイケルは自宅へ取って返すと、あるものを大慌てで探し始めた。その様子は兄のジャッキーを驚かせた。


―ジャッキー・ジャクソン
マイケルは帰ってくるなり、突然母さんのタンスに頭を突っ込んだ。なんだなんだと思ったら、「母さんのジャケットを探しているって言うんだ」、「あのキラキラしたジャケットはどこ?」「黒くてキラキラしたやつだよ!」って。

さんざん探し回ったあげく、お目当てのジャケットを見つけステージ衣装にしたんだよ(笑顔)



実はこのジャケット、いつか大舞台で使おうと心に決めていた特別なものだった。


いつの日か、舞台でこれを着るんだ
モータウン25でそれを着るなんて申し分ない(太文字)


本番までの間マイケルは地下室でひとり、自分だけの練習を続けた。


―ジャッキー・ジャクソン
ひたすらやってたよ。15秒から30秒くらいの動きをずっと練習していたんだ。おいおい何を始めるんだ?と思ったよ。だって本当に何をやるか知らなかったから…。



「モータウン25」に臨むマイケルの決意、それを肌で感じていた男がもう1人いる。


ネルソン・ヘイズ、マイケルの元運転手兼付き人(と紹介されている)として17年もの間、マイケルの身近に仕えた。


本番当日、ネルソンはマイケルに呼ばれ舞台そでに行った。


―ネルソン・ヘイズ(70歳)
大事な役目があるって、この帽子を(黒い帽子を手に持って)渡されたんだ。そんなことを頼まれたのは、あれが初めてだった。練習しておこうと言うから何だ?と思ったら、帽子を目印の位置に置く、それだけ。なのに4回もやったんだ。置いて拾って、置いて拾って…。それだけひたすらやらされたよ(笑顔)。



何もかもが、それまでのマイケルとは全く違う。
マイケルは「モータウン25」という大舞台で、全く新しい自分の姿を、世界にたたきつけようとしていた。


かくして「モータウン25」は開幕した。
ショーの中盤、まずはジャクソン5として出演した。兄たちとの出番を終えた後、マイケルはひとりネルソンの置いた帽子を手に取った。


そして、伝説のステージが始まった。
(ビリー・ジーンの映像)

Motown 25
Yesterday, Today, and Forever



―ネルソン・ヘイズ
マイケルのあんな動き、おれも初めて観たよ。


―ジャッキー・ジャクソン
髪をかき上げてあのジャケットをひらひらさせて、帽子を投げて。本当に素晴らしかった。衝撃的だったよ。


そしてあの2秒が訪れる。
客席は興奮のるつぼとなった。
デビューから20年、エンターテイメントの頂点に手をかけた瞬間だった。


―ネルソン・ヘイズ
ムーン・ウォークを見せたのはほんのちょっとだった。今見るとあれが?と思うだろ?だけどあんな動き誰も見たことがなかった。まさに歴史的瞬間ってやつさ。


―ジャッキー・ジャクソン
世界で最も人々にインパクトを与えたパフォーマンスだったと思うよ。あの瞬間から最高のすべてが始まったんだ。


マイケルが去った後も興奮は冷めやらない。


―スティーブン・アイボリー、マイケルを長年取材した音楽記者
マイケルが「ムーン・ウォーク」をやってステージを去っていった。みんなまだ誰か次に出るのは知っていたけど、正直もうどうでもよかった(笑)。「みんなあれ見た?あれ見た?」って大騒ぎさ。あっちこっちで客席から立ち上がり、「信じられない」って言ってたよ。そうしたら、場内アナウンスで「レディース・アンド・ジェントルマン、席におつき下さい、まだショーはあります」ってね。



その頃舞台裏では、

「マイケルの次が俺の出番だった。
なんてこったと思ったよ」

アダム・アント談


マイケルは大物たちを押しのけ、喝さいを独り占めした。
だが、その目はさらに先を見ていた。

マイケル・ジャクソン『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その3へ続く



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2015年04月24日

アナザーストーリーズ『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その1


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マイケル・ジャクソンが非常に繊細であったと同時に野心家で、賢い人であったのは知られています。このことをさらに裏付ける話が数日前に放送されていました。


『アナアー・ストーリーズ』



登場するのは、
ネルソン・ヘイズ氏、アシスタントマネージャー
ドン・ミッシャー氏、演出家
ジャッキー・ジャクソン(兄)
クーリー・ジャクソン氏、プロダンサー

スティーブン・アイボリー、音楽記者

生涯レコードセールス10億枚以上、亡くなった今も世界で愛されるマイケル・ジャクソン。だが彼は最初から世界一のスターだったわけではない。



もともとは兄弟5人の「ジャクソン5」のアイドルグループの一員だったマイケル。彼の運命が大きく変わったのは24歳の時…。あるステージがきっかけだった。



マイケルの運命の分岐点…
それは1983年3月25日、この日を境に彼はスーパー・スターへと駆け上がっていく。


ここであの『ムーン・ウォーク』を初めて披露した。
たった2秒間のムーン・ウォーク、それが彼を一人のアイドルからKINGへと押し上げた。


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マイケルはなぜあの日、あの劇場でムーン・ウォークを披露したのか。そこには若きマイケルの野心があった。



あのステージを間近でみつめていた男が伝説のすべてを語った…。



―ジャッキー・ジャクソン
あれこそ世界で最もインパクトを与えたパフォーマンスだよ。あれはもう信じられないの一言だよ。世界中があいつの本当の力を知ったんだ。




マイケルが初めてムーン・ウォークを披露したあの日、舞台そでには誰よりもマイケルを知る男、ジャッキーがいた。マイケルの7歳上の兄、ジャクソン5のリーダーである。



(場所を移し)ロサンゼルス

伝説が生まれたのは、今から32年前…
舞台はロサンゼルスの劇場パサデナ・シビック・オーデトリアム。この日、この劇場でテレビ番組の収録が行われようとしていた。

『モータウン25』


1958年創業のレコード会社、「モータウン」の25周年を祝う特別番組である。アメリカの歌姫、ダイアナ・ロス、奇跡の天才、スティービー・ワンダー、ソウルの帝王、マーヴィン・ゲイ、再び集めることが不可能といわれた音楽会のレジェンド30組が勢ぞろい。


当時24歳のマイケルは、この顔触れの中ではまだまだひよっ子だった。


―ジャッキー・ジャクソン
すごいスターが揃っていたんだ。みんなぼくたちが子どもの頃アイドルだよ。


夜の9時から11時まで2時間、ヒット曲づくし。アメリカのテレビ史上、記録的な視聴率をたたき出すことになった「モータウン25」。


番組の総合演出を任されたのは、ドン・ミッシャー当時43歳、アメリカ1の大物ディレクターだった。


―ドン・ミッシャー(75歳)
(当時の劇場を訪れて)
あの日ほど盛り上がったことはない。みんな叫んだり、飛び上がったり凄かったよ。あの番組は全米の44%もの人が観たんだ。アメリカ娯楽番組史上、最高の視聴率をたたき出したんだ。



若い人も年寄りも、金持ちもそうでない人も、黒人も白人もみんな観た。空前絶後の大ヒット番組だったのさ。




この「モータウン25」で、ムーン・ウォークを初めて披露することになるマイケル。彼には心に秘めたひとつの思いがあった。



この頃、マイケルは兄たちと離れ、ソロで売り出そうとしていた。しかし、1年がかりでつくった初のソロアルバム「オフ・ザ・ウォール」(1978年8月発表)は、音楽会最大の名誉グラミー賞にはたった1部門しかノミネートされなかった。


まだ業界ではマイケルは“チャイルド・スター上がり”、という色眼鏡でしか見ていなかったのだ。
その悔しさを、マイケルは自伝「ムーン・ウォーク」の中でこう振り返っている。


「同業者に無視されたように思い、傷つきました。この経験で、僕の魂に火がつきました」


連中をあっと言わせてやる…


マイケルはひとつの秘策に打って出る。その秘策とは、「何の歌を歌うか」…。


―ドン・ミッシャー
いきなり新曲をやりたいって言いだしたんだよ。新曲じゃなきゃダメだ、絶対ダメだとね。



それが「ビリー・ジーン」さ(ジャッキー・ジャクソン)



「モータウン25」その出演条件は、モータウンの歴史を飾った過去のヒット曲、いわば懐メロを歌うことだった。ダイアナ・ロスにもマーヴィン・ゲイにも断固としてその条件をのませた。



だがマイケルだけがモータウンとは関係ない「ビリー・ジーン」(1983年3月発表のシングル)をやると言い張った。本番2日前、総合演出ドンを会場に呼び出した。



―ドン・ミッシャー
みんなには外に出てもらったよ。(客席を指さし)あそこに座り、隣にはプロデューサーが座った。あとはメインのカメラマンだけ、他には誰もいない。そこにマイケルが現れて、この歌をやりたいとテープをかけたんだ。そして、始めた。



「マイケルだけを特別扱いできない」…。
ドンは断るつもりだった。だがムーウォークをひと目見た時、考えは一変していた。



―ドン・ミッシャー
これは「魔法のような瞬間になる」、と思った。これはやらなきゃならないぞと確信したんだよ。




勝負の舞台は整った。

マイケル・ジャクソン『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その2へ続く




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2014年06月02日

This is ITマイケル・ジャクソンBS3で放送

This is ITマイケル・ジャクソンBS3で放送


「歴史に残る集会へようこそ!」

オーディションに飛行機に飛び乗ってやってきたという若者、マイケル・ジャクソンと同じステージに立てるならどんなことだってやる、という女性…。


こんな始まり方で放送されるマイケルのThis is IT.
2009年急逝したマイケル・ジャクソン。


この「This is IT.」では、彼が10年ぶりに開催する予定だったコンサートのリハーサルの裏側、舞台裏を収めた貴重な映像が盛りだくさん。


マイケルの圧倒的なパワーの歌、ダンスを収録。もちろんバンドや衣装、照明、するはずだった仕掛けまで、舞台裏全部がみられます。


妥協のない、マイケル・ジャクソンと取り巻く人々のエンターテイメントへのあくなき姿。そして深い愛情が伝わってくる内容です。


私たちが夢に見たThis is IT.でしたが、彼の思いは伝わりここでマイケルはその夢を観客へと観せてくれたのです。


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実は筆者はこの「This is IT」は11回観に行きました。バス一本で行けるところに映画館があったものですから。

何度見ても何度見ても、新しい発見があり、見逃していたところありで、本当に非の打ちどころのない、私が見たのは誰でもないマイケル・ジャクソンでした。




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2014年05月21日

マイケル・ジャクソンラスベガスで復活?

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5月18日ビルボードミュージックアワード2014にマイケル・ジャクソンが登場し新曲を披露しました。今は亡き大スターが皆を驚かせるのは、これが初めてではないですね。


キング・オブ・ポップことマイケル・ジャクソンはムーン・ウォークを華麗に披露しました。このステージで新曲を披露したのです。

マイケル・ジャクソンのイリュージョンは16人のダンサーたちをしたがえ、ナンバーワン・アルバム「Xscape」から、「Slave To The Reythm」に合わせてステージで踊りました。

マイケル独特のゴールドジャケットに白いTシャツと赤いパンツで登場したバーチャルは座っていたところから階段を降り、ムーン・ウォークから始まり、マイケルを象徴するダンスを披露しながらステージを動き回る…。

このマジックに涙ぐむファンもいました。スタンディングオベーションも起こりました。


オーディオはパフォーマンス用の特別なもので、スポットライトを浴びて、スペシャル・ソロ・ダンス・タイムが披露されました。


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プロデューサーによると、ホログラムではなくバーチャルマイケルだということで、コンサート監督振付師であるJ・キング氏は「パフォーマンスはマイケルマジックです。エネルギーを感じます」と話します。



マイケルだけではなく、ダンサーの何人かもバーチャルです。同じような技術で、2007 年にエルビス ・ プレスリーがバーチャルでよみがえり「アメリカン アイドル」の中で、セリーヌ ・ ディオンのとのデュエットをしたものがあります。


また、この視覚のマジックは、アル・ゴア氏が東京(Live Earth Tokyo)でもやりました。インドの選挙戦の時にはモディ大統領がホログラムで演説、選挙戦を制しました。


実はこの技術はテレビより前に開発されたようです
19世紀の視覚のマジックと、最新のデジタル技術の産物といえるでしょうね。


死者を蘇らせたり、自分自身と話すこともできる…。


このイリュージョンは、45度の角度で設置された板ガラスに映った映像で投影され、昔からの技術を21世紀の技術とミックスされています。


この技術を競争相手のホログラム開発会社が訴えているようですが、どうなることでしょう、これからはこのバーチャルが世界に広がっていき、そのうち普通の風景になるのかな。


バーチャル?現実?どっち?
とかなっていくんでしょうか。

記事参考はABC Nightlineより




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