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レーシック

2015年05月18日

アナザーストーリーズ『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その6


マイケル・ジャクソン降臨
“ダンスの神様”の教え



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たった2秒間の「ムーン・ウォーク」で喝さいを浴びたマイケル。しかし、彼をなにより喜ばせたのはある男からの一本の電話だった。


ダンスの神様、フレッド・アステア。


マイケルは幼い頃からずっとアステアに憧れていた。

Story3

あの夜、84歳のアステアは、ハリウッドの自宅にいた。
「ムーン・ウォーク」を観たアステアは、わざわざ電話をかけ、絶賛の言葉を贈った。


頂点を極めた白人ダンサーと世界を掴んだ黒人のスーパースター。
人種という壁を越えて惹かれあう二人の天才のアナザーストーリー。


フレッド・アステア(1899-1987年)

1920年代からトップハットとステッキをトレードマークに、世界を魅了し続けた20世紀最高のダンサーだ。


あの日テレビで「ムーン・ウォーク」を観た彼は、60歳も年下のマイケルにこう告げた。


「君は私と同じだ」


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「君は私と同じだ」、その言葉の意味とは?


視点3 ショービジネスの覇者


フレッド・アステアとマイケル・ジャクソン。
年齢も肌の色も違うふたり。だがその才能は、人種という壁を越えて深く響き合っていた。



マイケルにとって、アステアはどんな存在だったのか…。

踊りの面からそれを読み解いた男がいる。


ビヨンセ、レディ・ガガ、マドンナ、ブリトニー・スピアーズ、エンリケ・イグレシアス、リッキー・マーティンなどの振り付けで知られる世界一の振付師トラビス・ペインだ。


トラビスはマイケルの晩年、ほぼすべてのライブやミュージックビデオで、振り付けを担当した。


彼によれば、あのモータウン25でのパフォーマンスは、アステアなしではあり得ないものだと言う。


―トラビス・ペイン(43歳振付師)
そもそも帽子というのは1930年代のアステアを象徴するアイテムなんだ。マイケルも彼に習って帽子を使ったんだけど、手の位置を変えた。手を横に真っ直ぐ置くのがアステア流なんだけど、マイケルは手を90度前に持ってきた。つまりアステアを自分流にアレンジしたんだ。


もうひとつ。足首に飾りをつけて、動きを目立たすのがアステアのスタイルなんだけど、マイケルはそれも採り入れていた。マイケルは、アステアのスタイルから多くのことを学んでいた。


彼はいつもこう言っていた。
「偉大になりたければ偉大な者に学べ」

マイケルは幼い時からアステアに憧れていた。


―ジャッキー・ジャクソン
アステアはマイケルのスターだよ。アステアの映画をテレビでやると、みんなにも、「観ろ」と言って結局オレも見る羽目になったんだ。(笑)


「モータウン25」の放送翌日、アステアは自らマイケルの電話番号を調べ、電話をかけてきた。


―ジャッキー・ジャクソン
あのアステアから電話がかかってきて、マイケルはガチガチに緊張していたよ。だって憧れのスターだよ。


そしてアステアは、マイケルをハリウッドの自宅に招待した。


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―ジャッキー・ジャクソン
自分で運転して、自分で扉叩いて「こんにちは」って。あのマイケル・ジャクソンがだよ、そんなことめったにない。


―ジャッキー・ジャクソン
これからの業界がどうなっていくか、何をすべきか、何をすべきでないか、教えてくれたそうだ。アステアはマイケルが気に入ったらしい。何もかも学びたいというマイケルの素直な気持ちを、受け止めてくれたんだ。


フレッド・アステアは、白人…しかし黒人の文化だったタップダンスの魅力をいち早く見出し、エンターテイメントの頂点まで引き上げた。


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映画『有頂天時代』


そもそもタップダンスは18世紀、アメリカにやってきた黒人奴隷たちが、ドラムを禁じられた替わりに見出したもの。


アステアは幼少期から、黒人ダンサーからタップを学び、それをバレエやジャズダンスの動きと巧みに融合し、別次元のものへと変えていった。バックスライドを、ムーン・ウォークに変えたマイケルのように…。


人種を超える人気を誇ったアステア。そのアステアがマイケルに贈った、
「君は私と同じだ」という言葉の真の意味…。


あの日、劇場にいた音楽記者はこう明かした。

―スティーブン・アイボリー(マイケルを長年取材した音楽記者、59歳)
フレッド・アステアはあらゆる人から愛された、世界一有名になったダンサーだ。その彼に、「私と同じだ」と言われたことは、すごい価値があると思っている。マイケル以前は、どんなに人気があっても黒人には限界があった。


ジェームス・ブラウンにしろ、サミー・デイビス・ジュニアにしろ、ファンの層は限られていた。黒人ダンサーで、アステアのような人種を越えた世界レベルを誇った人物は誰もいなかった。


ところが、マイケルはあのステージでまさにそういう存在になったんだ。あの言葉は、アステアからマイケルに渡されたバトンだったと私は思うよ。



ポール・マッカートニーはじめ、数々の白人のトップスターたちと共演。人種の壁を越えて、ヒットを重ねていったマイケル。


だがこの頃から、ひとつの疑惑がささやかれるようになる…。

マイケル・ジャクソン『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その7へ続く




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2015年05月09日

アナザーストーリーズ『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その5 45度の仕掛け


ストリートの技、バックスライド、マイケルだけがその真価を見抜き最高の技へと変貌させた。もはや『ムーン・ウォーク』はマイケルにしかできない『魔法』となっていた。



クーリーは地元のケーブルテレビなどで、「ムーン・ウォーク」などを披露したが話題にはならなかった。その後アメリカを離れ、日本でダンスの仕事を続けた。このままマイケルとクーリーが出会うことなどないかと思われた。しかし…。



「モータウン25」の4年後、数奇な運命が再び二人を引き合わせる。
クーリーはマイケルの映画に出演したのだ。(当時25歳)奇しくもそのタイトルは、「ムーンウォーカー」だった。(1987制作)



当時ダンスの最高峰ともいわれたこの映画のオーディションを受け見事に合格。ダンスの腕はなまってはいなかった。



クーリー25歳、マイケル28歳…。
6年ぶりに再会したマイケルは、さらに進化していた。



新しい『魔法』を魅せるために知恵と工夫の限りを尽くしていた。
体を45度傾けまた起き上がる(スムースクリミナルあの有名なシーンですね)…。実はこのシーンにクーリーも参加した。



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―クーリー
実はぼくらの体に付けたワイヤーを係が操作している。でもワイヤーは絶対に見えない。傾いても倒れない特別な靴まで作っていた。そこまでするなんて…。ほんとにとてつもない男だよ。



マイケルはこの仕組みを「ゼログラビティ(無重力)」と名付け、特許を取得、これもまたマイケルだけの『魔法』となった。


そして結局この映画が、クーリーとマイケルが会った最後となった。
マイケル専属のバックダンサーになる道もあったが、ダンサーとしてのプライドがそれを許さなかった。


それから27年、ダンサーとして求められる仕事はすべて引き受けてきたクーリー。インターネットの動画サイトが普及した頃、彼がアップした一本の動画…。


How to MoonWalk(2008年)
マイケルに教えたのと同じ手順、これがダンスを学ぶ若者たちに大きな話題となった。再生回数は130万回以上。


―クーリー
あと必要なのは小さな火花だけだ、小さな火花があれば大きな火花になる。まだぼくだってやれるさ、火花さえあれば。マイケルより大きくなってるかもしれない…。


マイケル・ジャクソンに「ムーンウォーク」を教えた男クーリー、世界の頂点を垣間見た男は、今も大きな夢を追い続けている。



たった2秒間の「ムーン・ウォーク」で喝さいを浴びたマイケル。しかし、彼をなにより喜ばせたのはある男からの一本の電話だった。


マイケル・ジャクソン『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その6へ続く



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