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レーシック

2015年05月08日

アナザーストーリーズ『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その4


motown252.jpg

ほんの一瞬のバックスライド、これを見たある人物からすぐに連絡があった。


―クーリー
マイケルのマネージャーからさ。
マイケルが見ていたんですよってね。あのアイドルのマイケル・ジャクソンが自分たちにダンスを教えてほしいって!?


クーリーたちは、半信半疑のままマイケルの自宅に向かった。


―クーリー
ぼくらは車で行ったんだよ、え?これっ?って思うくらい大きな家だった。だって、中には練習用のステージが丸ごとあったんだ。家のドアを開けたらステージだよ、驚いたよ。


そして現れたのは、正真正銘のマイケル・ジャクソンだった。


―クーリー
お互い自己紹介した後、ダンスについていろいろ聞いてきた。だから俺たちはしゃべりまくった。それでその日はおしまい、ダンスは教えなかった。次の日もしゃべった。でも踊らなかった。



マイケルは慎重だった。見ず知らずの若者からダンスを教わるのは相手を見極めてからでないと、うかつなことは頼めない。


「ステップを見せてよ」


ようやく言ったのは、3日目のことだった。

クーリーは自慢のステップを何種類も見せた。
ターンしたり横にすべったり…。そして後ろに下がるバックスライドを見せた時、


―クーリー
それだ!それだよってトツゼン叫んだんだ。

マイケルが望んでいたのはただ一つ、バックスライドだけだった。


―クーリー
教えてみたけど、こう言ってたよ、
(マイケルの声をまねて)「つかめないな つかめないな」
でも5時間練習したら、最後にはコツをつかんでいたよ。



レッスンが終わり、帰ろうとしたクーリーたちをマイケルは呼び止める。


―クーリー(19歳)
1000ドルくれたんだよ。1000ドル…何も考えずにもらったんだよね。まだ10代のガキだったから、あとで考えればその時契約書とかを結べばよかったのかもしれない。



こうしてレッスンは終了。
だが、マイケルはバックスライドをすぐには披露しなかった。


実はこのころマイケルは、人生を賭けた一大プロジェクトに着手していた。のちに世界一の売り上げを記録するアルバム『スリラー』の制作に取り組んでいた。


「『スリラー』は『オフ・ザ・ウォール』以上のものじゃなきゃいけないんだ
                    (著書、ムーン・ウォーク河出書房)

「前と同じことをするだけでは不十分なのです」 (著書、ムーン・ウォーク河出書房)



世界で唯一の1億枚以上売り上げたアルバム『スリラー』、大成功の裏には練りに練った作戦があった。


1982年12月発表の『スリラー』、ゲストに招かれたのは世界の大スターばかり…ポール・マッカトニーや、世界一のギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンが参加。曲そのものもそれまでのマイケルと違った。


たとえば「ビリー・ジーン」、あえて男女の関係を赤裸々に歌った。


ビリー・ジーンはぼくの恋人じゃない♪
彼女はそうだって言っているが♪



mic.jpg


そしてとどめの一撃、それこそが「ムーン・ウォーク」だった。そんなマイケルの計画などつゆ知らぬクーリー…。自宅のテレビで「モータウン25」でのマイケルのステージを観た。


―クーリー
ずっと言ってたんだ、バックスライドをいつやるんだ、いつやるんだって。テレビを観て思わず「ついにやった!」と叫んだよ。嬉しかった。だって彼は生徒だからね。ぼくらが教えた。



クーリーは悟った。なぜマイケルが2年もの間、バックスライドを見せようとしなかったかを。


―クーリー
マイケルはチャンスを待っていたんだ。それが「モータウン25」だった。相手はステージの客じゃない、テレビを通じて世界中に見せつけたかったんだよ。



「モータウン25」を観た人はレコード店に殺到、「スリラー」の売り上げは急激に伸び、グラミー賞8部門受賞達成を成し遂げた。


1984年グラミー賞8部門受賞(史上最多)

最優秀レコード賞
最優秀アルバム賞
最優秀男性ポップ歌手賞
最優秀ロック歌手賞
最優秀男性R&B歌手賞
最優秀R&Bソング賞
最優秀児童向けレコード賞
最優秀プロデューサー賞



のちに「ムーン・ウォーク」が習ったものであることを明かした。だが誰に習ったかは明かさなかった。


「『ムーン・ウォーク」を僕に教えてくれたのは3人の子どもたちでした』


―クーリー
マイケルがもし、クーリーが教えてくれたと言ってくれていたら何もかも違っていたかもしれないね。「おい、マイケルに『ムーン・ウォーク』を教えたスゲーダンサーがいるぞ」って。でも、そうはならなかった、まさかあのバックスライドがわお、って言われるような特別なものになるなんて思ってもみなかった。マイケルが『ムーン・ウォーク』と名付けたことで全く別のものになったんだよ。


ストリートの技、バックスライド、マイケルだけがその真価を見抜き最高の技へと変貌させた。もはや『ムーン・ウォーク』はマイケルにしかできない『魔法』となっていた。

マイケル・ジャクソン『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その5へ続く



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2015年05月07日

アナザーストーリーズ『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その3


だが、その目はさらに先を見ていた
このイベントは7週間後、全米で放送されることになっていた。


マイケルはその編集には恐るべきこだわりを見せた。


―ドン・ミッシャー(モータウン25総合演出)
マイケルは、自分の場面は自分で編集すると言い出したんだ。モメたのは顔のアップのことだ。あのころはスターならアップが当たり前だった。だから私も当然、アップをたくさん入れようと思っていた。




でもマイケルは私の意見を却下し、クローズアップをほとんど使わせなかったんだ。彼は、わたしをまっすぐ見て、「この編集を絶対変えないで」、そう訴えていた。だから私も、「わかった、絶対に変えない」と約束したんだ。


映像を観るとマイケルの狙いがわかる。
クローズアップはごくわずか。
マイケルの全身が写っている。
だから動きのすべてが見える。


その結果、翌日には誰もがやり始めたのだ「ムーン・ウォーク」を。


ローリング・ストーン誌の記事
「翌朝には、アメリカ中の子どもたちが校庭であの動きを真似し始めた」


アメリカ中の子どもがあの動きを校庭で真似し始め、「ムーン・ウォーク」は瞬く間に社会現象となり、マイケルは一気にスーパー・スターへと駆け上がった。


―ドン・ミッシャー
彼の狙いはすべて的中した。
わたしは、マイケルを今でも心底尊敬しているよ。


―ジャッキー・ジャクソン
すごいって?これぞマイケル・ジャクソンさ。自分の歌がやりたいと言って周りを納得させ、そのステージで大物連中も黙らせ、最後には世界をねじ伏せた。(満面の笑顔)
あの「ムーン・ウォーク」はそれだけの力があったんだよ。


世界の人々をとりこにしたマイケル・ジャクソンの「ムーン・ウォーク」。しかし、それはマイケルが発明したものではなかった。


19歳の青年、クーリー・ジャクソン・・・彼こそがマイケルに「ムーン・ウォーク」を教えた男だった。


Story2

マイケルの「ムーン・ウォーク」が初めてテレビで流れた夜、劇場から500km離れた自宅にいた。複雑な思いでその様子を見つめていた。

もうひとりのムーン・ウォーカー…
マイケルの素顔を垣間見た男が語る。


町はずれのディスコで若者と踊る男、熱心に教えているのはムーン・ウォーカー。そう、本当は彼こそがムーン・ウォーカーだった。

Cooley Jackson.jpg
クーリー・ジャクソン



プロダンサー、クーリー・ジャクソン(53)氏は、ダンス歴45年になる。幼いころからストリートダンスの技術を磨いてきたクーリー。不思議な縁でマイケルと結ばれることになる。


―プロダンサー、クーリー・ジャクソン
これがおれだよ、(録画画面を観せながら)18歳くらいかな。後ろに下がってるでしょう?受けていたよ(笑)。


マイケルが「モータウン25」でムーン・ウォークを披露する2年前、クーリーはアマチュアダンサーがパフォーマンスを競う「ソウルトレイン」(1981年3月放送)に出演した。


―プロダンサー、クーリー・ジャクソン
ぼくらは、バックスライドって呼んでいた。前に進んでいるようで後ろに下がるからね。


ほんの一瞬のバックスライド、これを見たある人物からすぐに連絡があった。

マイケル・ジャクソン『ムーン・ウォーク』誕生の秘話その4へ続く



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